第12回国際女性技術者・科学者会議 |
日 時 | 2002年7月27日(土)〜31日(木) | |
場 所 | オタワ国際会議場(カナダ オンタリオ州) | |
参加者 | 女性技術士の会 | 参加13(発表者 1)名(同伴者4名) |
日本女性科学者の会 | 参加16(発表者14)名 | |
日本女性技術士フォーラム | 参加 5(発表者 2)名 | |
日本女性薬剤師会 | 参加 4(発表者 2)名 |
この報告は、ICWES12に参加するに当り、女性技術士の会として支援を行なっていることより、参加者から会員の皆様への報告をおこなうものです。また、ICWES Japanからも参加費の援助を受けた事により報告義務が生じたためでもあります。御陰を持ちまして有意義な1週間を過ごすことが出来、お礼申しあげます。
なぜ、団体でICWESカナダなのかは、APECエンジニアの登録、相互承認など技術士を取り巻く国際的な動きの中で、女性技術士の会においても対応が必要となってきていることによります。女性という冠にとらわれない社会の実現が望まれますが、まずは、手の届くところから始めて見ようという事が、今回の団体参加につながりました。ICWESについては、過去に日本から参加され日本での開催準備を主導的に行なっていたのが日本女性科学者の会だったこと等から、もう少しアカデミックなものと予想していました。しかし実際は学術研究と女性をテーマにしたものが半々でした。初めての海外参加で良く分からなかったので、会としては何も発表しなかったのですが、日本技術士会から提供を受けた技術士の制度と日本技術士会紹介の英文パンフレットをポスターにするだけでも十分と考えられました。唯一発表して下さった安東さんに感謝します。ちなみに、英文パンフレットは50部印刷し配布をしました。
報告にあたっては出発前の成田空港で、ツアーの一行がそれぞれ視点を変え、全体で一つの読み物となる様に分担しました。どうぞお読み下さい。
(社)日本技術会の御好意により原文を転載するものです。
ICWES12は2002年7月27日〜31日、カナダの首都オタワで開催されました。この国際会議に、女性技術士の会からは、会員13名、(及び同行者の非会員4名)が参加いたしました。13時間の時差を乗り越え、参加することに大きな意義を認めた結果のことでした。会としては、市内見学やナイアガラの滝の見学旅行などを企画し、多くの参加がありました。その他、各自で、町づくりの観点からオタワ市の街中をつぶさに見て歩いたり、公共交通機関を用いて幾つかの施設を見学したりするなど、いろいろな体験をしました。ポスターセッションや会議主催のツアー参加も含め、研究発表を聞くだけでなく、この機会を活用しました。また、会議の一環としてのレセプションやバンケットなどを通じて、国際交流や国際感覚を直接に感じるといったことも特に若い世代にとっては大きな収穫です。
この会議に、ICWES Japanが参加することができましたのは、第11回の日本での会議終了時から、代表者及び事務局を初めとする関係者の方々の並々ならぬ御努力の結果と、深く感謝いたしております。
ICWES Japanは前回第11回、日本で開催された会議の際に誕生したのですが、国内でのシンポジウム開催など、第11回会議後も幹事の方々は多忙だったと思われます。ICWES Japan成立以前から、各団体を代表して御活躍下さっていらっしゃる方々が、日本での会議開催の経験を踏まえて、引き続いての御活動の御様子、有難く思います。
ICWES Japanが今後大きく発展して行くには、現4団体だけでなく、女性を中心とした他の団体にも広く呼びかけ、組織の拡大を図ることを考えて良いと思います。個人での加入も加え、女性の技術者・科学者の会として、名実共に21世紀の日本を代表する団体となることを望んでいます。その際、現4団体が当然その組織の中枢となり、今までの実務経験を生かしていくのが良いでしょう。
さらに、ICWESの組織の中では、アジア地域の中心的役割を担うことが期待されます。近代〜現代における科学技術の面では、この地域での先進国として、また、ICWES自体に関しては、日本の先駆者による今までの実績からみても、妥当であると考えられます。
ICWES及びICWES Japanが益々その成果を挙げることを期待します。
女性技術士の会がこのICWES12への参加したのは、前回1999年日本で行われたICWES11の事務局4団体として運営に参画したことに発します。そして、開催地カナダへの興味、会として示した企画力や行動力、親睦、知名度の向上や国際化対応などの技術士を取り巻く環境認識等によりこのツアーを成功に導きました。
若い女性技術者科学者を次回カナダへ送り出す事を目的にして、会議の余剰金を管理するためにICWES11事務局4団体が1999年ICWES Japanを設立しました。ICWES12にむけて2001年3月公開シンポジウムを行いました。今回、カナダでの発表者、参加者にそれぞれ資金補助を行ない、会場で配布するICWES Japanの英文パンフレットを作成しました。各会の紹介や代表の言葉のほか、ICWES11名誉総裁の高円宮妃久子殿下がくださったメッセージも載っています。日本からは41名が参加し、発表者は19名でした。
ICWES12では世界女性技術者科学者のネットワークを構築する事が提案、採択され、ICWES Japanは正式に日本を代表する組織と認知されました。これを母体にし、さらに多くの技術者科学者の参加する国内組織が出来ることが期待されます。
技術士の日常業務はクライアントからの受注業務であったり、社内機密に抵触するものもあるので、外へ発表する事が困難なテーマが多いのが現状です。さらには、殆どが国内仕事で日常的に英語を使用する環境にはありません。昨年、APEC諸国(組織)で各国の技術者資格を相互承認する仕組みが出来上がり、日本の技術士も国外での業務機会が増える事になり、海外の技術者科学者との交流は必然なものとなっています。技術士も英語でコミュニケーションをとれるようにならなければなりません。ICWES Japanのパンフレットには東山会長のメッセージ、女性技術士の会の紹介、が書かれています。また、今回社団法人日本技術士会の英文パンフレットのコピーを持参しました。これらにより交流する機会はたくさん有ったのですが……。しかし、今回参加された若い技術者の方々は外国にたいして殆ど違和感無く馴染んでおられたように見受けられます。今後技術者としての経験を重ね、生かし、継続的に女性技術士の会から参加者、発表者がだせるよう、皆で盛立ててゆくことが大切です。
次回2005年は韓国で行われます。日本技術士会は韓国技術士会との間に30年にもおよぶ交流があり、韓国では女性の技術士も30〜40人おられると聞いています。この数年日韓技術士会議に参加し女性の技術士との交流の機会を探っていました。このことより、女性技術士の会はICWES13へ向けて再びICWES Japanとともに活動していく事になると思われます。
女性技術者・科学者会議(ICWES)の国際会議に出席するため、平成14年7月26日から8月1日に帰国する日程で、カナダのオタワに出かけて参りました。
女性技術士の会では、前回第11回ICWESの会議が幕張で行われた時にも会議に出席いたしましたが、その時に「3年後にカナダのオタワで開催される時には会として積極的に参加しましょう」ということで、準備を進めてきました。
準備の中で一番重点を置いた項目が、「負担金を少なくして若い人達が参加しやすくしたい」という内容でした。
私達は、技術士という専門的な資格を持って日常の企業的業務を行っていますが、その他にろうけつ染めを行ったりアートフラワーやアレンジフラワー等の特技を持った技術士もいます。
平成8年に社団法人日本技術士会の45周年記念大会が行われた時に、ロビーの空間を生かすことができるような催事コーナーの設定を依頼され、「手づくりのもので、その特技を生かしてイベントを盛り上げた」と参加者の皆様に喜ばれたことがあります。
平成13年に50周年記念大会が行われた時に、再び記念品の作成や催事コーナーの設定を女性技術士の会に依頼されました。
この時には、すでにカナダでICWESの国際会議が行われるということを知っていましたので、記念品と一緒にコサージュやカードやラッピング等を手づくりで作成することにいたしました。
このことを引き受けてからが大変で、50周年記念大会という一大イベントになっていましたので、記念品も1,200個必要となり、女性技術士の会で毎月1回集まって、延べ10回を越える回数を設定し、無事記念イベントを成功させることができました。
ICWESカナダツアーへの参加の準備は、この時から始まっています。記念品作成の集会のたびに、手はコサージュ等の作成に集中していますが、もっぱら口の方はいろいろな項目が話題になり、いつもの専門的な会議の時とは又違った時間を楽しむことができました。
このような準備期間を経て、今回ICWESカナダツアーに、女性技術士の会からは14名で参加することができました。
日本国内における会議と異なり、カナダまでの海外旅行はいつもと違う旅となりましたし、会議に参加された方々とも情報交換をすることができましたので、又大きな人の輪を広げる有意義な旅となりました。
女性技術士の会のメンバー16名でオタワを訪れICWESカナダ12に参加した。
7月26日から8月1日の約1週間の概要を報告する。
(とはいえ、日中は個人行動となる時間も多かったため、一部、私の行動記録&感想になっています。)
7月26日(金)成田空港集合、結団式
結団式では、メンバーの紹介、日程の確認と諸連絡が行なわれた。カナダ事務局スタッフへのお土産「ハンディ扇風機」を持ち、少しずつ気持ちが高まってきた。
7月26日(金)夜 オタワ着
航空機に預けた荷物が紛失するという、到着早々現地ガイドを驚かせる出来事が起こったが、無事解決。
ホテルは国会議事堂のすぐ側あり、まさにオタワの中心地に滞在することになった。辺りは22時を過ぎても人通りがあり、「安全な街」という印象を受けた。
7月27日(土)オタワ市内観光、ICWES開会式
バスで市内を観光した。数時間で主要な観光名所を回ってしまえるとは、オタワはコンパクトな都市だ。
ICWES開会式では、進行している内容が飲み込めず、早速言葉の壁を痛感した。また、レセプションでは各国の料理を食べることができたのだが、食文化の違いを痛感した。やはり、何事も経験してみないと分からないものだ。
7月28日(日)ICWES会議、安東さん発表
レジュメのタイトルが分かりづらく、自分の興味に合う内容を探すのに苦労したが、私は「地球温暖化」の会議に参加した。予想はしていたが、参加者の積極的な発言には驚いた。質問するのかと思っていたら、マイクを握って10分くらい話しつづけ、最後には拍手をもらう人までいた。見習わなければ・・・。
現地に住む人の日常生活や流行を探ってみようと思い、スーパーマーケットと本屋に行った。
欧米では寿司が人気なのは聞いていたが、スーパーマーケットのお惣菜コーナーにもたくさんの寿司が並べられていたのには驚いた。買う気分にはならなかったけれど・・・。
雑誌の表紙を見ていると、ヨガとダイエットをテーマにしたものが多かった。美容と健康は永遠かつ全世界共通のテーマなのだということが良く分かった。
7月29日(月)ナイアガラ観光
この日、私たち参加メンバーのほとんどはナイアガラへ1日観光に出かけたが、私は1人でモントリオールへ行った。
モントリオールは、地下鉄や地下街が発達しており、オタワと比べるとずっと都会的な街だった。
モントリオールでは3時間の市内観光バスに乗り、オリンピック記念公園などの観光名所を回った。バスガイドはまず始めに乗客の理解できる言語を確認し、その結果、全ての説明を英語と仏語の両方で行なった。そういえば、オタワで目にした印刷物は全て英仏両方で記述されていた。敢えて別冊にしてしまわないのは、どうしてなのだろうか。
7月30日(火)ICWES会議、バンケットパーティ
あっという間に最終日。最後の会議に参加し、午後はIndustry Tourに参加した。
夕方から行なわれたバンケットパーティには着物や浴衣を着て参加した。予想通り大注目を浴び、良い気分になった。後ろ姿の方が好まれたのが気にかかったけれど・・・。
カナダの女性宇宙飛行士のスピーチがあった。周りを見回すと様々な国から集まった大勢の参加者が真剣に聞き入っており、スクリーンに映された地球の映像がとても象徴的に感じられた。3年後には韓国で、またたくさんの素晴らしい技術者・科学者と再会したい。
7月31日(水)出国
8月1日(木)帰国、解散
6月になってから、7月28日と29日とメールに書いてあったのが、当日参加してからプログラムを見ても場所はやっと分かったものの時間はよく分からず、28日に展示していたら、プログラムの見方を教えて下さる方がいて、詳細プログラムのページから29日の16:45〜17:30ということが分かりました。そのため、29日には皆さん方とナイアガラには行けず、オタワ川クルーズと、自然博物館に行きました。
発表のテーマは、COMPERATIVE ESTIMATION OF THE CITY RIVER USING INDUSTRIAL MATRIX(産業連関表を用いた都市河川の評価)で、ICWES12当日に配布されたCD-ROM中の0362full_paper0362.pdfに載っています。最初は、都市河川の洪水対策について、河道改修、トンネル河川、二層式、流域貯留の4案の費用対効果をC/Bばかりでなく産業連関表も用いて評価したのですが、後で施設でなく水害保険による案や、流域貯留の用地を全て買収しなくて良い案についても比較しました。自然流下する流域面積1.8km2ののここで採用されたのはトンネル案で、産業連関表の波及効果でもこの案が最良となりましたが、差が縮まりました。その後、事業効果の取り方を研究するため、天井川の治水対策として改修した後もホタルが生息する川で見学会を開催し、その時に分かった生息域のパネルや、直前に土木学会河川技術委員会の論文にあった森下郁子さんの河川生態評価指標HIM(5点×10項目)についても解説し、ホタルが生息する川の指標を数値化したら、38点になったことなどを加えました。天井川の改修史を調べたり、毎年刈った方がCO2が吸収されるヨシを冷房廃熱防止に使えないかと考えたりすることで、評価方法を確かなものにしていこうとしています。
外国人にはたどたどしい英語で解説ししたが、「洪水防御」という目的をはっきり言うと、環境の評価も、行政やコンサルタントの立場だと経済評価が必要になってくることまで分かって下さる方が多かったです。
厚かましくも2日間も展示し、パネルの前で、5人の外国人と、3人くらいの日本人と名刺交換しました。デジカメで撮ったパネルの画像を添付します。もう少し大きな字で、要点、キーワードをまとめて書くべきであり、ボードに貼り付けると分かっていたら、薄い素材にすべきでした。
日本人でパネル展示をされた他の方ともお話ししましたが、蚕の研究をしながら有機農法の難しさについて教えて下さった馬越さん(女性科学者の会)と、脳死移植が実施されるようになってから75%が助かる脳低温保存療法について報道されなくなったと教えて下さった功刀さん(同)が印象に残っています。
関西にいて何もできませんでしたが、お金集めから旅行の手配まで、他の会員さんたちにとてもお世話になり、楽しく無事に過ごすことができました。本当にありがとうございます。
『第12回 国際女性技術者・科学者会議』(ICWES12)における行事は、開会式に続くレセプション、最終日前夜のレセプションとバンケット及び最終日のクロージングランチであった。日程の都合で、クロージングランチは参加出来なかったが、開会式等の行事を通して、今回の会議の感想を述べる。
まず、式やレセプション等が非常にオープンでフレンドリーな雰囲気であったことは、少しばかり驚きであった。会議への協賛企業や、スタッフ、ボランティアとして参加している学生の紹介もあり、様々な人達の協力の上に会議が運営されているということが実感できた。
会議が女性技術者・科学者と、"女性"を冠していることもあってか、開会式ではカナダ(特に、ブリティッシュコロンビア州)における女性史ともいえる事項の紹介があった。私も学会をはじめ各種の全国的な会議へ参加する機会がしばしばあるが、開催地域のことを知らないままで帰ってしまうことが多い。このような演出があったことは印象的で、カナダの歴史等に、ほんの少しではあるが触れることが出来たような気がする。
バンケットでは、カナダの女性宇宙飛行士Julie Payetteさんによるスピーチがとても興味深かった。ゴダートやスプートニク、アポロ計画、スペースシャトルに至る世界の宇宙開発の歴史や、ご自身の訓練の様子、パートナー等をスライドで紹介された。時々ユーモアを交えながらの語り口調は素晴らしく、自己の業務や技術を自信をもって紹介出来る話し方、また、相手を引きつけるような話し方を身につけなれればと痛感した。個人的には、語学力不足のため内容の隅々まで理解できなかったのが非常に残念である。
なお、バンケットに関しては、ドレスコードが「民族衣装」となっており、「私たち日本人にとっての民族衣装って?」「当然着物!」ということで、着物を着用した。レセプションの終了後、他国の方々にとっては、やはり珍しかったようで、一緒に写真をと誘われたり、ほめていただいたりして、十分楽しむことができた。ささやかではあるが、「友好の輪」を広げることが出来たのではないかと思っている。
今回のICWES12の全体的な印象は、運営スタッフに限らず、若い人の参加が比較的多かったということである。
我が国では、環境や科学に対する女性の意識の高まりとともに、科学・工学分野を専門とする女子学生の割合は、以前に比べ高くなっており、環境大臣や文部科学大臣に女性が起用されてもきているものの、科学、技術の分野は、どちらかというと地味で、仕事的にもハードな面が強調されており、敬遠され、女性に限らず若者の科学離れ、技術離れが問題となっている。
しかし、科学、技術は確かな手応えを得られる分野であるはずで、若い層の力を大い活用し、伸ばしていくためには、このような国際的な会議への参画は有意義なことであり、世界に目を向ければ、先に述べたように、各国から若い人々が参加している。
我が国の現状では、企業に勤務する若い女性技術者たちが、このような会議に参加するための環境が整っているとは言い難いため、意欲のある人々が少しでも多く参画できるよう、アピールしていくことは重要であると感じた。
会議での発表を見聞きすることで自己のスキルアップを図ったり、セレモニーやバンケット等の催しで、多くの人々との交流を通して、視野を広げたり、また、バンケットに何を着ようかとワクワクしたり...。会議を十分楽しんだ。ICWES12は、間違いなく今後の仕事のエネルギーとなった。 以上
1 会議の運営について
ICWES12はカナダの首都OTTAWAで開催された。オタワはトロントやjモントリオールよりは観光地ではないらしく落ち着いた雰囲気の街であった。
会議の会場は、国会議事堂のすぐ近くの Ottawa Congress Centerで、いろいろな意味で便利なところだった。交通は、飛行場からシャトルバスで2〜30分と近い。また、ホテルに囲まれたような位置にあり、向かいのホテルや、特に、隣接しているホテルに泊まった人にとっては、通うのも楽だった。このホテルは会議場に直結しているばかりでなく、比較的大きなショッピングモールにも直接行き来できるので、食品や日用品、お土産、WindowShoppingなど、ちょっとした会議の合間の時間を有効に使うことが出来る。これは訪問者にとっては、近くでなんでも揃う安心感と、不慣れな土地で外国語を使って店を探し出す手間が省け精神的負担の軽減になる。また、海外旅行に慣れていない方にとっては、不必要な外出の危険を避けることもできる。
前回ICWES11の幕張と比べると、飛行場への便利さやホテルの歩いての近さ、買い物の便利さなどにおいて、今回の方が優れていたと思う。前回、アメリカからの参加者に、近くにコインランドリーは無いかとたずねられて困ったことを思い出した。今回宿泊したホテルには洗濯機まではないものの、アイロンと立派なアイロン台が備え付けられていた。
会議のテーマはGenderに関するものが多かった。また企業スポンサー付きのパネルディスカッションも多く、個人発表中心の前回とはまた違った趣であった。開催国により考え方や資金面での事情等により形式が異なるのも興味深い。統一テーマも抽象的であり、集まってくる発表内容によっても構成が変わってくる訳であるから不確定な要素は多々ある。どういうかたちになるのかを楽しみにして参加するのもひとつの方法である。今回を参考にして、たとえば団体として発表するなど形式を工夫してゆくのも面白い。
しかし、ポスター発表など専門的な発表について、昨年から想定した様子と異なり、十分な議論ができなかったのが残念であるという感想を持つ方がおられたようだ。このようなことについては、もし事前に運営側から刻々と方針や準備の状況や変更等が伝わってくるようなチャネルがあると、事前に理解でき、不一致が多少緩和されるのではないかと思う。今後は会議開催のためだけではない定常的な組織がつくられるということなのでそれに期待したい。
会議のひとつの山場であるレセプションとバンケットについては、正直なところあまりスムーズな運営とは見えなかった。バンケットの前にレセプションが設定されていたが、バンケットの講演者の到着が遅れるといううわさが伝わってきただけで、運営者側から何のあいさつもアナウンスも無かった。何のためのレセプションなのか不明であった。会場に行っては見たもののおつまみをつまみながら手持ち無沙汰な人々が佇んでいるだけであり、そのうちにバンケット会場への移動を促されたら会場は既にかなり人で埋まっていた。
バンケット会場は披露宴風に円卓が並んでいるかなり広い部屋だが照明が暗い。主役の宇宙飛行士の講演は良かったが、スライドが暗くてみづらくまた本人はライトアップされないため、表情や話している様子がみえなかったのは残念であった。講演のあと、サインや記念撮影を求める人々が集まって収拾に苦労し、食事をつづけるために一時中断されたがこれはバンケット終了後にまた再開されたようであり大変な人気であった。
最後の方に各国からの代表が(自由に?)発言の機会を与えられていたが、あれは良かったと思う。食事の席では、分野が多岐にわたるため、同席された方は医学関係でこちらは情報と建設となかなか話題をみつけるのも難しかった。Menopose(更年期障害)くらいがやっとであったのが少々情けない。
日本では少しのミスも不愉快も許されないという雰囲気があるが、日本の外ではこの程度は普通なのかも知れない。むしろ、堅苦しく自由な雰囲気が無さ過ぎると、聞いている。
2 パネルディスカッションを聞いて
女性技術者が仕事でトラブルを抱えた場合、理由の第一条件に女性であることが挙げられる。今でも多くの女性がその問題に直面している。
パネルディスカッションに対する反応、質疑応答、総括をみていると、実際女性であることが働く上でのデメリットになりうると考える方が多いように見える。パネリストのなかに一人男性がいた。彼のスピーチのタイトルは"Talent Hunting".性別に関係なく、才能によって企業内人事を行なう必要がある。男女の雇用が等しくなることは考えにくい、がしかし才能ある技術者が性別を理由にその技術を生かす場が与えられないまた妥当な評価を受けられない現状は改善すべきである。この現状は、女性技術者のみならず企業側にも多大な損失をもたらす。これは正論である。女性は企業内での地位向上が望めないことに相当な苛立ちを感じている。男性社会のなかで、女性であることの先入観に囲まれながら仕事をするのは大変であろう。それは上にゆけばゆくほど目に付く。しかし、企業内でも女性であることは表裏一体良い面もあると思う。
女性技術者の労働条件についての法整備、企業内で特に男性に対して女性技術者に対する意識改革が緊急課題だという、女性側の主張・意見を会場で耳にし、目にした。個人的には、加えて女性技術者の認識を変える必要性も感じる。上手に男性技術者を使う方法を考えるとか、も必要と思う。
国際会議までにやってくる、「出来る女性」というのは、まっすぐな真剣さ、にじみ出る有能さが迫力をもったオーラになっている。大きな障害に対して苦労をしたあるいはしている先駆者にはきつい方もいらっしゃる。しかし、これからはそうでなく、自然に女性として個性を生かして仕事や研究を続け"ガラスの天井"を突き破る時代が来ている、と期待したい。
「女性技術士の会」のICWES-12 オタワ大会への参加は1999年夏に日本の幕張メッセで開催されたICWES-11終了後に決め、楽しい企画を考え家族も含めて17名(会員13名)がオタワを訪れた。
参加者がそれぞれ持分を決め、自分なりの感想を書くことにし、私はIndustry Tourについて纏めた。
Industry TourはICWES-12が企画し、発表以外でカナダを知る機会になるで参加を希望した。Tourは4コースに分かれていた。
(1) Canadian Museum Of Nature (カナダ自然博物館)
(2) National Research Council (国立化学研究所)
(3) Nortel Company (ハイテク企業)
(4) Post Center (中央郵便局)
「女性技術士の会」では(1)と(4)に参加した
≪カナダ自然博物館について≫(参加者:東山セツ子、氷上澄子記)
10年前にはオタワ市内にあったが、オタワから車で30分くらいの郊外に移転した。カナダの自然環境や農業を守ることや太古の歴史をたどるカナダの地質や鉱石、恐竜の化石などの研究をしていて貴重な標本の数は数万点にのぼる。これらを10年前に移設したときは非常な労力と神経を使いとても大変だったとのこと。カナダの広大な土地から発掘された恐竜やマンモスの化石はスケールの大きさに驚いた。恐竜は化石をつなぎ合わせ復元しているが、それをもとに模型の作成も行っている。植物の保存は1858年からはじめ、より良い標本の作り方の研究が現在もされている。農業を守るため、害虫、益虫などの保存と生態の研究など多岐にわたる。標本の保存を重視し、湿度45%、室温20℃に保たれ非常に寒い。今年の夏は自然博物館主催でオタワ市内で恐竜展が開催される。
≪中央郵便局について≫(参加者:安東尚美、久保奈美記)
会議室での説明では、中央郵便局はクレームや課題の早期発見、早期解決に日々努力していることを強調されていた。中央コントロールセンターはガラス越しに見学したが、正面の壁には巨大なモニターが表示されており、郵便種別の配達量や配達状況がリアルタイムで表示されており、予定より遅れが生じているものがあると、どこでどれくらいの遅れなのかが画面に表示されるので、センターの職員がそれを確認し別のルートへの振替指示などが迅速にできる。一方では、郵便物の現在位置の問い合わせが入った際には詳細な地図で位置を確認できる。このようなシステムは全てユーザーの満足のために、郵便物を安全かつ迅速に届けることを第一に考えてのことを強調されていた。質疑応答では「カナダの郵便事業は国営か民営か?」という質問に「微妙だ」との回答。Eメールの急速な普及やペーパーレス化、宅配企業のサービスの充実に郵便事業も様々な形で対応していかなければ成り立っていかないのだろう。
Tourの申し込み方法がわかりにくく、説明も無かったので当初希望していた(3)のNortel Companyに行くことができなかったのは残念だったが、たまたま私たちを案内してくださった現地の方(日本人)のご主人がNortelに20年勤務していたが、去年リストラされたことを話されていてカナダも企業は厳しいようだ。Nortelはカナダ一のハイテク産業で通信関係を幅広く行っている会社で、オタワ市はこの企業の発展を見込んで人口増加を予想していたので軌道修正を余儀なくされているとのこと。でも、案内をしてくださった日本人の方は3名いらしたが、税金は国税7%、州税8%と高いがオタワ、ナイアガラはとても住みやすいと話されていた。
カナダの首都オタワは、カナダの南東部に位置し、2001年1月、周辺都市との融合・合併により、The New City of Ottawa として、人口約80万の新首都圏を形成している。旧オタワ市街は、人口約30万、運河と緑の美しい政治都市である。
そもそも「オタワ」とは、先住民族の一種族であるアルゴンキン族の言葉で「物々交換」を意味し、古くから運河を利用した交易の盛んな街であった。町の規模としてはトロント、モントリオール、バンクーバーの方が大きな街であるが、大国アメリカとある程度の距離をおいていること(トロントではアメリカに近すぎる)、そして昔から自治意識の強いケベック州に睨みをきかせることもあってか、1857年、イギリスのビクトリア女王(現国王エリザベス女王の4代前)が、ここオタワの地をカナダの首都に制定した。
このように最初から政治都市としての街づくりを意識して行ってきたことから、国会議事堂、大使館、国立博物館・美術館等の官公庁の施設が多く、それらの建造物が運河と緑の中に絶妙の調和を図りながら配置されている。建造物の高さ、色にも制約があり、街のシンボルである国会議事堂の時計塔(86m)より高い建造物は許可されず、黒、白、茶、グレーといったベーシックな色を基調としている。東京やニューヨークのような超高層ビルはなく、繁華街にいたっても「雑踏」という言葉とは縁の無い落ち着いた雰囲気の街である。
市内の交通手段はバスか自家用車で、地下鉄のようなレールロードが無いが、自転車道は整備されていて、運河沿いの小径を風に吹かれながらのサイクリングは観光客の人気を集めている。また、街を流れるリドー運河は、冬季は水量調節をして水深を浅くするため、氷結して世界最長(約200km)のスケートリンクに変身する。バス通勤のサラリーマン達は会社からバス代が支給されないこともあってか、冬はスケート通勤となるらしい。スーツの上にコートを着てアタッシュケースを持ってのスケート通勤の姿は、オタワの冬の風物詩といったところか。
物価は、東京よりは若干安いと感じたが、いわゆる消費税7%、州税8%(オンタリオ州)が課税される。但し、食パンやミルクといった生活必需品は無税である。歯の治療を除いて医療費は無料ということだが、きめ細かい行き届いた医療サービスを提供するのは難しいようで、また薬代は自費負担である。
「政治都市」をコンセプトとした街づくりの結果、工場なども郊外へ移されたが、昨今の厳しい経済情勢から、最近ではIT関連企業(排ガス等を出さないクリーンなイメージの企業)に限っての企業誘致も行われているようだ。但し、IT産業の伸び悩みはカナダでも深刻で、カナダ最大のコンピュータ関連企業でも大リストラが行われ、大きな社会問題となっているようだ。
ゴミは埋立処分されているようで、分別収集は行われていない。土地は腐るほどあるので(ガイドさん談)、処分場の逼迫が問題となる日本とは、ゴミ問題に対するスタンスが根本的に異なるのかもしれない。
水は、少なくとも日本と同程度には安全で、ホテルの洗面所の水でコーヒー、紅茶を淹れることができ、レストランでは日本と同様にいわゆる「お冷や」が供され、もちろん無料である。筆者も旅行中、お腹の調子はいたって良好であった。(筆者の胃腸が特別頑強なのかも?)
治安も良く、夜10時以降のダウンタウンを歩いていても物騒な感じはなく、歌舞伎町の方がよほど怖いかもしれないと感じた。
オタワは、サミットの一員である先進国カナダの首都にしては「小ぢんまりとした街」といった感がしないでもないが、それは徹底して「政治都市」にこだわった街づくりの結果であり、そこには「整然とした秩序」のようなものが感じられた。東京のような一極集中型の都市の持つ「雑然とした無秩序」を思うと、どちらがいいかという議論はさておき、コンセプトに沿った都市計画の成功例の一つと言えるかもしれない。
次回はシュガーメイプルの葉が真っ赤に色づく頃、是非また訪れてみたい魅力的な街である。
7月27日(土)午前11時から午後4時まで、「理想の首都」をスローガンに計画されたというオタワ市内を見学した。
まずはオタワ川を背景に建つ国会議事堂である。ネオゴシック様式の建物はオタワのシンボルであり、中央と左右の3つの建物からなる。屋根は銅板で、30年以上経たものは緑青が出て美しい青緑色をしている。壁は石灰岩でできており、4億5千万年前のアンモナイトの化石が見られる。中央の建物にはピースタワーと呼ばれる高さ86mの時計台があり、これより高い建物は市内に建てられない。そのためか、かなり離れていてもピースタワーを見つけることができる。議事堂前は広場になっていて、カナダ建国100年祭を記念して、火(天然ガス)が灯されている。夏季には午前中に衛兵交替式が、夜には光と音のショーが行われる。ショーでは議事堂全体がスクリーンとなり、カナダ建国の歴史が物語のように映し出される。議事堂前の広場は1日中市民に開放され、大変親しまれている。日本では考えられないことである。
議事堂の後ろは小高い丘になっていて、広いオタワ川を挟んでケベック州が見渡せる。非常にいい眺めである。ほぼ正面にカナダ文明博物館が見える。カーブを描いた珍しいデザインの建物であり、柱を氷河に、左右の建物をカナダの東西に見立て、全体としてカナダ全土が表現されている。文明博物館にはたくさんのトーテンポールが展示されており、航海の無事を祈るお守りとして作られたものや、イヌイットの歴史にまつわる物語を表しているそうだ。もともとフランス領であったケベック州はフランス語圏であり、市民はフランス語しか話さないと聞かされていたが、後日、お昼を食べに行った際、街の人は親切に英語で対応してくれた。
オタワの中心を流れるリドー運河は、オンタリオ湖とオタワ川を結ぶ全長約200kmの運河であり、ダウズレイクまでの8kmは、冬には世界一長いスケートリンクとなる。オタワ市民はスケートしながら通勤するそうである。運河沿いの景色は緑や花々が多く、大変美しかった。
オタワは都市計画によって郊外と市街地がはっきりわかれており、郊外には中央農地試験場などがあった。中央農地試験場ではヒメリンゴ、麦などが栽培されていた。また、市中心部に向かう途中に、1haもありそうな広大な敷地の総督公邸があった。カナダは1867年にイギリスから自治権が与えられカナダ連邦として国が成立したが、エリザベス女王が君主であり、総督は女王の名代である。このあたりには高級住宅街があり、美しい家並みが続く。このほか街の中心部には、ガラス張りの建築が美しい国立美術館、シックなノートルダム寺院、戦争博物館、日本大使館、アメリカ大使館などの建物が集まっている。
オタワの全体的な印象は、"ゆったりとして美しい街"である。人も街ものんびりとして旅行者にやさしい。歩道には何種類ものカエデの並木が続き、秋には紅葉がさぞ美しいことかと思う。自然の多い街であり、街中で2種類のリスを見つけることができた。また、建築物の色が制限されており、黒、茶、グレーが基本カラーになっている。奇抜な色は許可されないらしい。そのためか落ち着いた街並みとなっている。別の日に、レンタサイクルを利用して運河沿いや街中をサイクリングしたことが良い思い出となった。欲を言えば、もっと事前のリサーチをしておくべきだったと悔やまれる。
女性技術士の会ではICWESオタワ会議に対し積極的に参加を募り、その際、日本から訪れるカナダは、遠方の訪問地となるため、この機会に参加者は室内だけに閉じこもることなく、仕事がら、訪れた街や場所に関する見聞を広めることが当初から会の目的にあった。出発前、再度の計画調整により、ナイアガラを見学地として選択した。 7月29日は早朝より空路トロントへ。トロントよりナイアガラまでは約130kmで所要時間はバスで1時間30分である。途中には名産アイスワインの材料を生産する葡萄畑が広がっていた。
●ナイアガラのあらまし
ナガアガラ滝は上流のエリー湖から流れ出るナイアガラ川の途中に出現するナイアガラ断層を落下する瀑布であり、さらに流れてオンタリオ湖へと注ぐ。ナイアガラ川の真中に国境があり、対岸はアメリカのニューヨーク州である。
世界三大瀑布の一つであるナイアガラの名の由来は「雷鳴のようにとどろく水の音」という意味であり、その水の行きつくオンタリオ湖の名の由来は「赤く輝く水」という意味がある。ナイアガラ滝の規模はアメリカ滝が高低差54m、幅320m、水量1400万g/min、カナダ滝が高低差52m、滝壷の深さ55m、幅685m、水量15500万g/minであり、自然の状態と想像していたが、実は侵食を防ぐために上流部の水門で水量と、水みちを調節しているそうである。
ナイアガラの町は人口78,000人の観光地である。滝の周辺は土産物屋と怖くない(らしい)お化け屋敷が軒を連ねている。当日は世界でも指折りの名所らしく大変な観光客の数である。夏休みのせいでスクールバスも多い。ツアーバスから眼前に滝が望めた。バスを下車し、ナイアガラ名物「霧の乙女号」へ乗船しての滝見学である。乗船料金はCA弗12.25(日本円で約1,000円 1ドル83円)で、乗船時間は約15分である。乗船までの待ち時間には私たち一行も逸れないようにしているものの、あまりの人の多さに、途中で二つに分かれたりしながら船着場までを下った。途中で水しぶきをふせぐブルーのカッパが配られる。さて、どの場所がよく見えるかと相談し、その結果、船の舳先に向って場所取りに走った。みごと獲得。いよいよカッパを着て、滝へ向う。滝に近づくと船は揺れ、霧などという優しい雰囲気ではなく土砂降りの雨の中にいる状態である。間近では目も開けられない。もちろんカメラでの撮影などはできるものではない。大歓声、嬌声入り混じる中、船はしばし滝の際で木の葉のように揺れ、浮かんでいる。いやぁ、なかなかの迫力であった。下船すると緊張から開放された面々は、霧の乙女という名称の優雅さはなく、丘に上がったカッパとでも言おうか、暑さと水浴びの濡れ鼠でグッタリである。
さて、元気を取り戻し、次は滝をやや見下ろす位置にあるテーブルロックの広場から全様を眺望した。現在は禁止されているが、かつては滝下り(下りというより滝落ちのほうが相応しいように思うが)にチャレンジした人がいるそうで、飼い猫とともに樽で下って成功したアメリカ女性の場合、黒猫が白猫なったといった逸話もあるそうである。
●観光地としてのナイアガラの見方
さて観光名勝のあり方であるが、土産物などは修学旅行相手のような商品が多いことなどは日本と類似していた。気づいた違いを整理すると、整備面ではパーキングが出入り口近くにあるのが日本で、利用者には便利であるが、やたら広いパーキングと溢れる車は観光地の雰囲気とミスマッチの場合がある。ここナイアガラでは時間に合わせてバスが指定の場所に来る状態であった。この作り方は一見、利用者には不便である。が周辺の風景のバランスとしては良好であった。またソフト面で、車の誘導を始め、どこにもスタッフが多く貼りついており、その年齢が一様に若いことである。同じユニフォームなので一目できる。猛暑の日中、笑顔で客や車を導くだけの作業は重労働であるが、若いスタッフが多く活躍している姿が印象に残った。日本の場合は人件費が嵩むのであまり多くの人をはりつけることをしない。精々、駐車場の誘導くらいである。またとりわけ由緒ある古い観光地の場合、スタッフは高齢の人が多い。このような状況は、それがアルバイトであっても、ボランティアであっても子供の頃から育まれたホスピタリティーの心の違いを感じずにはいられない。屋外の芝生地などで涼をとり、休憩する人も多くみられたがゴミなどは目につかず、ためらうことなくどこにでも座れるという状況も、もてなしの心の違いではないかと感じられた。
仕事がら、観光地の計画を手がけることがあり、とりわけソフトウエアの計画には重点を置いて考えているが、このような状況を見ると、やはり基本的な教育の中にホスピタリティーを培うプログラムが必要だと感じ、これまでも提言してきたが、今後もまちづくり等でこのようなプログラムの提案を積極的に行う必要を感じたナイアガラの見学であった。
娘にカナダに行かないかといわれてどうしようか迷いました。『せっかく良くできた山野草や子盆栽,そのほかたくさんの木や花への水遣りをどうすれば良いのか。誰かに頼むとしても水遣りは結構難しく,ただ水をかければ良いというものではない。それに我が家にはリキ(紀州犬)にクリ(猫)という手のかかる家族がいる。』こんなことを考えて頭が一杯になってしまいました。でも,一週間も家で心配しているよりは行くべしと思い,行くことにしました。
顧みれば,身体が弱く,月に一度は熱を出してピィピィ泣いていた子がよくもここまで大きくなったものだと思います。小学生のとき,算数の問題が解けなくて,ない頭を一生懸命使っていたことを思い出します。そんな,少々勝気な面もありました。
今回のカナダ行きでは,メンバーの方々とご一緒でき,皆さんそれぞれ個性があってとても良い方ばかりで安心しました。本当にお世話になりました。一生のうちで初めての嬉しい経験でした。心から感謝しています。ありがとうございました。
私が今回参加したカナダツアーは、本来なら旅行目的ではなく会議に参加する為のものであるのが、事実上会議には参加しない私にとっては数年振りの海外旅行であった。
カナダは想像以上に広かった。
それを初めて感じたのは、トロント空港へと向かう飛行機の中だった。
機内に備え付けられているモニターには現在時刻や位置情報などが表示されるのだが、いつまで経っても目的地に近づかない。おまけに足は浮腫んで痛く、時差の関係でなかなか就寝する事が出来ず、先が思いやられた。
しかし、カナダの風景はそんな気持ちをも払拭させた。カナダならではの気候。オタワの緯度は稚内とほぼ同等であるにも関わらず、そちらよりも幾分か、いや、かなり過ごし易い(その代わり冬の寒さは厳しいそうだが)。また、私達が一週間過ごしたオタワは、国会議事堂等の政府の主要機関が在る場所にも関わらず、自然が多い。ホテルのすぐ傍には広大な運河が広がっており、冬には天然のスケートリンクになるそうだ。
これは日本では絶対に拝めない景色である。私はその目に焼き付けた。そして、自然の景色とショッピング街を楽しめるオタワを観光する事も出来た。
景色と言えば、ナイアガラの滝も壮大なものであった。毎秒計り知れない程の水が威勢良く流れ落ち、滝周辺は水飛沫で目も開けられない程だった。また滝壷付近では、その水飛沫と太陽の光が作る小さな虹も見ることが出来た。
この滝壷は古き時代から存在する物で、年々刻々と位置が移動しているそうだ。その為、この川沿いには滝によって侵食されて出来た鋭い崖が見られる。自然の持つその威力は、万人の目を惹きつける物であると感じた。
また、カナダの名産物といえば、メイプルシロップである。カナダに多く生息する天然のメイプルリーフから取れるシロップは、一言で表現すると「自然の甘味を凝縮した天然シロップ」であると言える。それを加工して作られるメイプルバターやメイプルチョコは正に美味である。
手頃な値段で手土産にも丁度良いので、私も友人に買って帰った。
こんな感じで過ぎたカナダでの1週間だが、連れて行ってくださった女性技術士の方々や同行のお嬢様にも優しくして頂けて光栄だった。
東京の暑さに早く慣れようと思う。