2007年08月05日
二次試験
試験日なので、技術士二次試験に関することを。
私は、受験を7回経験しています。最初は、水道部門(今は上下水道部門といいます)。これは29歳で一発合格でした。それから、十年以上経って、環境部門。これは3回かかりました。さらに数年後、建設部門(1回)。総合技術監理部門(2回)。
やっぱり記憶に残っているのは、一つ目ですね。子どもが3歳と0歳の時でした。昭和の時代、8月下旬の平日、冷房のない試験会場での試験でした。0歳の子の授乳に夜中に起きて、その時に文献を読んでキーワードをピックアップして、翌朝、職場について始業までの時間帯で頭を整理する、というような勉強方法でした。
試験当日、赤ちゃんが早朝に泣いて起きたので、世話をし、早起きしたんだからと弁当を作って持って行った記憶があります。技術者として認めてもらうために早く「技術士」になりたい、という気迫で受けました。
あとの3部門は、クーラーが入るようになってからの受験だったと思います。それぞれ、その時の仕事の必要性から受験したものです。
ここ数年、経験論文を依頼されて添削してきましたが、今年は、一般問題や選択問題について、2人から依頼があり、どちらも熱心に取り組んでいたので、うまくいってくれよう願っています。
サルスベリです。
今年は庭木のサルスベリもよく咲きました。これは鉢でも咲く小さいタイプ。小さくて咲くので、花がそばで楽しめます。
2005年11月27日
技術士としての師匠
私が、勝手に技術士としての師匠と思っている人がいます。
その人は、同じ部門の先輩技術士(男性)で、先輩とはいっても大先輩ではなく、数年の先輩です。その人とは、技術士の受験勉強中に、偶然に知り合いました。論文添削の先生だったのです。その時は、受験2年目で、指導がよかったのか、私の努力が実ったのか、ラッキーだったのかは わかりませんが、幸い論文試験に通ることができました。その後、模擬面接もやっていただき、その時に、初めて、直接お会いしました。模擬面接では、自分では、ヒドイできだったと思ったのですが、そこで自分の弱点を客観的に知ることができて、口頭試験も通ることができました。その時の模擬面接で気づいた弱点は、その後に技術者として、自分に通信ネットワーク関係の知識が欠けているということを意識させてくれ、常に勉強するように心がけできました。おかげで、苦手意識を克服することができました。
晴れて技術士になってからも、あちこちの会合でお会いする度に、いつも刺激を受けています。私にとっては、幸運な出会いであり、いつかは、自分もだれかに良い影響を与えるような立場になりたいものだと思っています。
2005年11月22日
家庭と仕事の両立
10月19日「技術士になってから変わったこと」に対して、海猫さんから、相談をいただきましたので、この場でお答えしたいと思います。
「家庭と仕事の両立」は、永遠のテーマともいえる大きな問題なので、私がその問題に答えることなんて とてもできませんが、自分の経験と考えを少し書いてみようと思います。
まず、海猫さんが働く予定の会社では、両立している前例がなさそうということですが、今から、心配しなくてもいいのでは?と思います。海猫さんが既に家庭をお持ちなのであれば、話は変わってきますが、まず、仕事や会社に慣れ、家事を分かち合えるパートナーを得てから家庭を構えるということになるのが、普通の順番かと思いますので、あまり先々を心配しても、仕方ないです。確かに、自分の目標になるような女性が身近に見つかれば、自分の将来像を描きやすいということは、ありますが、その会社内で見つからなくても、取引先や仕事以外の交流で見つかるかも知れませんし、あまりにスーパーウーマンで参考にならないかも知れないので、それほど、気にすることはありません。
それから、一番大変なのは、子どもが小さい時(0歳~2歳)ですから、その期間は、割り切って、仕事は続けるだけに意味を見出し、他の欲は捨てる(自分のキャリアアップはあきらめる)という考え方もあります。他には、ベビーシッターさんや家政婦さんの助けを借りるという方法も、今はそれほど、珍しい例でもないようです。とにかく、その人その人(+パートナー)の価値観により、優先順位をつけていくしかありません。(時間は、誰にとっても1日24時間しかないので。)子どもを持たない選択肢もシングルでいるという選択肢もあります。
私が自分のことを振り返ってみても、子どもの病気や自分の出張やいろいろありましたが、その時は、そこを乗り切ることしか考えず、運良く乗り切ることができて、気がついてみたら、今になっていた気がします。もう一度やれと言われても、できるかどうかわかりません。それから、忘れてはいけないのは、周りの人(実家の両親や職場の同僚など)の協力です。どんなに意気込んでも、自分一人でできないこともありますし、全部一人で背負い込むことはよくないです。
技術士の受験にしても、私の場合は、子どもが小学校低学年の時でしたが、他の方は、子どもがある程度大きくなって、再就職してから受けたという方もいますし、結婚前に取っちゃったという方もいますし、本当にさまざまです。このやり方がベストということはありません。
少しは参考になったでしょうか? ほかの方からも、コメントがあるといいのですが...また何か相談があれば、いつでもどうぞ。
2005年10月19日
技術士になってから変わったこと
情報工学部門の技術士になってから、丸5年が経過し、それ以前と今と 自分自身が変わったと思うことがあるか 考えてみました。
まず、筆記試験合格がわかってから、雑誌「日経コンピュータ」を購読し始め、それは今でも続いています。(普通は、受験を決めたら購読を開始するものかも知れませんね。)勤務先で買ってもらうのは、よくないです。私の場合は、自腹でないと読まなくなります。技術士なのに、こんなことも知らないの?と言われないための自衛策とでも いいましょうか。
次に、技術士的なものの考え方をするようになりました。仕事以外の生活面・社会面でも このテーマのメリット・デメリット 応用方法などをすぐに考えてしまうクセがつきました。これは、場合によっては 嫌味になるかも知れないので、自分の心の中にとどめておきましょう。
それから、人間関係を中心に、世界が拡がったことは、一番大きいかも知れません。私は外に出る仕事ではないので、仕事関係の名刺より技術士関係でもらった名刺の方が多いほどです。知り合った方々は とにかく、皆さん勉強熱心です。技術士会関係のさまざまな活動を通して、情報を得る機会もたくさんあり、できる限り参加しようと思う積極性が増したということもあります。
まわりから見られる目が変わったということは、感じません。名刺を出して、技術士をお持ちなんですか?と、言われたことは、今まで2・3回しかありません。あ、でも 社内で、今まで話したことがない某部長さんから声をかけられたことはあります。
私が受験した当時から見ると、受験本もずいぶん増えて、新聞等でも目にする機会は増えてはいますが、世間一般には知名度はまだまだで、多分、両親は今でもよく理解していないのではないかと思われます。
べつに偉くなるという意味ではなく、自分が内面から技術士らしく変わっていかないといけないのだろうと思っています。
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2005年10月10日
なぜ技術士を受験したか
1998年2月、読売新聞に「平成の士(さむらい)たち」というシリーズものの記事があり その何回目かでたまたま技術士を取り上げていました。
そこに載っていたのは、情報工学部門の女性技術士でした。
それを、見た時 私は これだ! と思いました。
その当時の私は、転職後2・3年が経過し、職場環境には慣れたものの 中途入社の実績づくりに何か効果的なものがほしいと思っていたところでした。
技術士という資格は前から知ってはいましたが、取得はかなり難しいという程度の知識しかありませんでした。そして、知らないうちに 情報処理部門は情報工学部門という名称に変わっていました。
その記事を見つけてから、あわてて詳細を調べると、なんと ちょうど二次試験の願書の配布期間で、締め切りまで そう余裕のない時期だったのです。技術士試験は 出願時の過去の実務経験の実績の記入が、非常に重要で それが合格を左右するとも言われているほどです。私は、前の勤務先の上司に承認印を依頼したり(幸い円満退職だったので)、夜遅くまで記入に時間をかけたりして、なんとか出願することができました。その年は、準備不足で筆記試験で不合格となってしまいましたが、次の年には筆記・口頭とも通り 晴れて技術士となることができました。
そのきっかけとなった女性技術士の方には、実はまだ直接お会いしたことがありません。一度、直接お礼を言いたいと長年思っています。そして、このブログがきっかけで、また新しい技術士が誕生してくれれば、こんなうれしいことは ありません。
注)現在は、当時と制度が一部変わって、原則として一次試験に合格しないと二次試験は受けられません。