2007年01月21日
鳴子ダム
こけしで有名な鳴子温泉郷のそばにある鳴子ダムです。
こけしや温泉のほうが鳴子としては有名ですが,このダムも「国内初の日本人だけの手によって造られたアーチダム」として有名なダムです。昭和32年完成。構造物としてはシンプルですが,流線型の美しさが際立っています。
ダムのそばに建っている管理事務所1階は自由に見学できるようになっていて,建設当時の写真が飾られています。白黒写真で見づらいのですが,当時の建設の様子がわかって興味が尽きません。
ダムを造るには,まずダムの建設する場所の川の流れを,仮締め切り堤と仮排水トンネルで変えます(瀬替え;左の写真)。このV字の谷にダムができるわけです。そして,堤体(ダム本体)コンクリートを打設します。当時は,こんなに小さいバケットで少しずつコンクリートを運んでは打設していました(右)。
堤体はいくつかのブロックに分けてコンクリートを打設していきます(ブロック工法)。その1つめのブロックを造っている様子(左)。右奥に見える白いアーチは仮締め切り堤です。隣に別のブロックができ始めました(右)。
進捗率3割くらいの様子。こうなってくるとダムの形がわかってきます(左)。進捗率8割の様子。ここまでくれば,もう立派なダムです(右)。
遂に完成。ダム湖が満水になってダムのてっぺん(堤頂)から水があふれています。右下には,まだ仮排水トンネルが見えています(左)。満水となったダム湖の様子(右)。ダム湖というより,まだ,満水の川といった様相を呈していてどこか切なさを感じます。
ダムのそばには,建設当時に使用されたトンネルが残っていたり(左;入れませんが),昭和63年まで使用されていた放流バルブが展示されていたり(右)と,今でもダムの歴史を感じることができます。
そんな古いダムですが,それでも実はこの鳴子発電所は,東北電力としては宮城県内で一番大きい水力発電所です。ダム湖に貯めた水は,取水塔(左写真,右奥に見える四角い茶色っぽい建物,手前の階段のある建物は放流施設の一部)から取り込まれ,山の内部にある圧力トンネルを通って調整水槽に送られ,そこから最大落差105mの水圧鉄管(右写真,茶色い鉄管)を流れ落ちて発電所(右写真,白い建物)の中にある発電機を回して発電します。最近のダムと違い,発電に使用する水圧鉄管も発電所も地上にあるので発電のしくみがわかりやすいですね。
渇水期の今の季節は見られませんが,5月の連休中には満水になった水を堤頂から越流させる「すだれ放流」と,その上を泳ぐ鯉のぼりの「鯉の滝登り」を見ることができます(下)。週末でなければダムの内部も見学できるということなので,暖かくなったらまた行ってみたいと思います。本当に美しいダムです。
投稿者 watanabe : 23:53 | コメント (6)
2007年01月17日
阪神大震災から12年
このブログは楽しみのためを第一としてきましたので,時事的なことは敢えて書かずに来ましたが,今日だけは別です。阪神大震災から12年が経ちました。
私は直接的に何の被害も受けておらず,甚大な被害を受けた友人や親戚もいません。でも,土木屋として,なかんずくコンクリート屋として,絶対に忘れてはいけない災害だと心に刻んでいます。
当時の私はゼネコンの研究所に勤務していましたが,女性であること,研究職であること,後方支援が必要なことから,すぐに現地へ行くことはなく,震災後半年してから初めて行きました。半年経っても,旧長田地区の惨状は震災直後と全く変わっていませんでした。見渡す限りすべてが焼け跡でした。実構造物の鉄筋コンクリートの柱がせん断破壊しているのも初めて見ました。せん断破壊は鉄筋コンクリート構造物としては「してはいけない」破壊形態で,実験以外に「あるはずがない」破壊形態だとも思っていました。そのせん断破壊をしている柱が延々と続いているのを目の当たりにして,コンクリート屋の端くれとして非常な驚きと途惑いと居心地の悪さと後ろめたさと苦しさを感じました。
それからは,研究所で毎日が実験とデータ整理と検討書作成の日々でした。鉄筋コンクリートの柱がいかにして壊れたか,まだ壊れていない柱をいかに早く効率的に補強するかの実大構造物の実験を2年半,文字通り朝から晩まで繰り返しました。自宅には数時間寝に帰るだけ。研究室の誰もが同じ生活でしたが,その生活を乗り切ったのはたぶんコンクリート屋の責任感と自負心からだったと思います。そして,たぶん全国の土木屋が同じような,あるいはもっと大変な時期を過ごしただろうと思います。
日本全国で,いつ大地震が来てもおかしくない今日です。生活人としての日々の備えと,コンクリート屋としての技術の備えと,両輪の車で走って行きたいと考えています。
「あなたが何気なく過ごした今日は,昨日亡くなった人の,生きたかった明日」
投稿者 watanabe : 23:33 | コメント (4) | トラックバック
2007年01月10日
コンクリート構造物の信頼性
コンクリート屋の私は現場調査にも行きますが,机の上でチマチマと計算もしています。コンクリート構造物の地位向上委員会委員長(嘘ですよ!)として,今日はそんな計算の話。
コンクリート構造物には残念ながら「ひび割れ」が付き物です(ただし,ひび割れにも有害なものと無害なものとがある)。でも,構造物を造る前に,ひび割れが「いつ頃」「どこに」「どれくらい」「どのように」出るか,を予測することができる種類のひび割れもあります。それは,セメントが水和するときに発熱する温度に起因するひび割れです。
それを予測するには,まず構造物のモデルを作ります。
左の絵で,薄黄色の部分は地盤。構造物よりも地盤をずっと大きくとります。薄緑色の部分は,スラブと呼ばれるいわば床の部分。水色の部分が壁。このモデルは,壁に発生するであろうひび割れを予測する時の典型的なモデルです。たかが,壁に発生するひび割れを予測するだけなのに,モデルはその何倍も大きなものを作らなくてはなりません。この構造物モデルはモデル化する時点からが勝負なのですが,私にはそのセンスがあまりなくいつも四苦八苦しています。
モデルができたら,様々な条件を入力して計算します。
例えば,下の左の絵は温度の計算結果。コンクリート構造物の,どこがどのくらい熱くなるかが一目でわかりますよね。コンクリートの熱が地盤の広い範囲にも及んでいることがわかります。
下の右は応力の計算結果。応力は温度同様,壁の中央で大きくなることがわかります(赤い方が応力が大きい)。つまり,この部分でひび割れが発生する可能性が高い,ということになります。もちろん,「可能性が高い」という定性的な判断ではなく「何%の確率で」と定量的に判断できます。
左の絵は,変形の大きさ。相当デフォルメしてありますが,壁の中央あたりで大きく縮み,反対に構造物の端部で伸びているのがわかります。
と,まあ,こんな計算をして,できる限り良い(耐久性のある,信頼性のある)構造物を造ろうと,コンクリート屋は日夜努力しているわけで,皆様の暖かいご支援を宜しくお願いいたします。
投稿者 watanabe : 21:07 | コメント (2) | トラックバック
2006年12月28日
石淵ダムと胆沢ダム
今日は現場調査で,中尊寺(岩手県)のそばにある胆沢(いさわ)ダムへ行きました。
でも,胆沢ダムの話は後にして,そのそばにある石淵(いしぶち)ダムの話から。
石淵ダムは,以前紹介した「南川ダム」や「大倉ダム」と違い,コンクリートダムではありません。石を積み上げて造るロックフィルダムという形式です。そして,この石淵ダムは,日本で初めて施工されたという貴重なロックフィルダムです。
上の写真は二つの構造物が並んでいるように見えますが,これで一つの構造物(ダム)です。奥に見える石垣のような部分がダム本体(水を堰き止めて貯めている部分;石を積み上げてできている)で,手前に見える水門のような部分(コンクリートでできている)は,ダムに貯めた水を放水する洪水吐き(こうずいばき)という部分です(写真でも,実際に放水されています)。
この石淵ダムは,「日本で初めて施工された」と書きましたが,「日本で最初に完成した」のは違うダム(岐阜県にある小渕ダム)だからです。石淵ダムは昭和21年に着工されましたが,完成するまで7年かかり,その間に小渕ダムができてしまったということです。でも,石淵ダムは,その内側(上流部分)をコンクリートで遮水した「コンクリートフェイシングフィルダム」と呼ばれる形式で,現在は4基(小渕ダム,皆瀬ダム,野反ダム,石淵ダム)しかない珍しいダムです。
下の写真は,ダム本体を下流側(水が溜まらないほう)から見たもの(左)と,洪水吐きからの水が下流に流れていくさま(右)。小さい写真でわかりにくいですが,年月を感じさせる趣のある堤体(石積み)です。
実は,この貴重な石淵ダムを見られるのもあと9年しかありません。というのは,このダムが9年後には水没してしまうからです。「ダムによって村が水没」という話は良く聞きますが,「ダム(そのもの)が水没」という話はあまり聞きません。でも,この石淵ダムは,9年後に下流に完成する胆沢(いさわ)ダムによって水没してしまう運命にあります。
というわけで,ようやく胆沢ダムの話になるわけですが,その胆沢ダムはいま1/4ができたところで,ダムの形はまだ全然見えていません。
上の写真,何が何やらわかりませんよね。完成予想図を重ねると下の写真のようになります。
なんとなくイメージが湧いたでしょうか。
写真や完成図でわかるように,この胆沢ダムは大きなダムで,完成すると東北屈指のダムとなります。
この胆沢ダムもロックフィルダムですが,石淵ダムとは異なり,すべてを石(岩石,砂利,粘土)だけで造る中央土質遮水壁型ロックフィルダムという形式です。簡単に言うと下の絵の感じ。
そして,下の写真が実際に使う材料です。
「えー,こんなんで本当に水が貯まるのー?」,というのが,私が初めてロックフィルダムの材料を見たときの率直な感想です。でも,山の中にあるダムとしては,コンクリートダムよりはずっと自然に近い姿だとは思います(悔しいけど)。石淵ダムが水没して見られなくなるのは残念ですが,胆沢ダムが完成するのも楽しみです。
投稿者 watanabe : 19:02 | コメント (4)
2006年12月16日
広瀬橋
コンクリート構造物シリーズ第二弾。
仙台と言えば「広瀬川」,そこに架かる「広瀬橋」です。この橋は,「日本初の鉄筋コンクリート橋」です(注)。
ただし,残念ながら現在の橋は3代目です。初めに架けられた橋は,下の「仙台名所絵はがき」にあるように,明治42年(1909年)に竣工しました。当時のこの橋は,車道と両側の歩道を区分したり,鉄の欄干を設置したり,さらに路面にアスファルトを塗布するなど,細部に至るまで画期的な工夫が凝らされていたそうです。確かに,絵はがきからも瀟洒な欄干がわかりますよね。
その後,昭和34年(1959年)に架け替えられ,さらにその後も改修されています。そのため,国土交通省の看板にも,正確に「日本最初の鉄筋コンクリート橋跡」と書かれています(左)。それでも,当時を偲ばせる礎石が,橋のたもとの橋姫明神社の横に据えられていました(右)。
ここは広瀬川としては下流で,4kmほどいくと名取川と合流して名取川となり(広瀬川は一級河川ですが,その意味では支流),さらに10kmほどで仙台湾にそそぎます。渇水期なので流量はあまり多くありませんが(一番下),それでも思ったより早い流れに驚きました(下左右)。青空のもとでたっぷりとした水が輝いていればもっと美しいのでしょうが,この少し翳った雰囲気も東北らしい一面で私は大好きです。
注:「日本最初の鉄筋コンクリート橋」という橋は,実はもう一箇所あります。琵琶湖疎水に架かる第三トンネル東口の橋です。どちらが最初かと言われると,広瀬橋が明治42年,琵琶湖疎水の方が明治36年なので,琵琶湖疎水の方が最初です。ただし,こちらは車は通れません。ですので,広瀬橋はたぶん「日本最初の鉄筋コンクリート道路橋」だということなのだと思います。ちなみに,「日本最初の鉄筋コンクリート鉄道橋」というのもあり,こちらは山陰線の米子-案来間に架かっている島田川橋梁です。
投稿者 watanabe : 19:00 | コメント (4) | トラックバック
2006年12月04日
コンクリートは美しい
コンクリート屋の私としては,何とかしてコンクリートの地位を高めたいと日々願っています。コンクリートは安価で丈夫で造形性に優れており,しかも自然界の材料(石灰石,粘土,砂利,砂など)を使っている自然物であるにもかかわらず,いかんせん評判が悪い。
ということで,コンクリートの良さをアピールしようと思い,とりあえず近所のダムを2つ紹介することにしました。
左の写真は,南川ダムです。仙台市の少し北に位置しています。ダム軸がほぼ中央で折れ曲がっているのが特徴で,一見,アーチ式ダムに見える重力式ダムです。カラーで撮った写真ですが,色のない季節の雪景色に溶け込んでいて何とも優しい風情だと思いませんか。
右の写真は大倉ダムです。仙台市内の西に位置しています。こちらは正真正銘のアーチ式ダムです。しかも,マルチプルアーチという非常に珍しい形式。日本にマルチプルアーチ式ダムは2つしかなく,その1つがこの大倉ダムです。ただし,大倉ダムのアーチは2連(そのためダブルアーチとも呼ばれる)なのに対し,もう一つのマルチプルアーチ式ダムである豊年池ダム(香川県三豊郡)はアーチが5連で,造形美からするとそちらには負けます。でも,豊年池ダムは石積みですが,大倉ダムはコンクリート造なので,私の軍配は大倉ダムに上がってます。
大倉ダムを下流側(水が溜まらないほう)から見たところです。画角が広すぎてカメラのファインダーに収まらなかったため,2枚の写真を中央でついであります。中央部に少し違和感があるのはそのためですが,左右に広がるアーチが鳥の翼みたいで素敵です。
これはおまけ。「造形性に優れる」というコンクリートの特徴を活かした作品の数々です。
私が自作したのは,中央にある写真立て2枚,右奥の花瓶(黄色いドライフラワーが挿してある),右手前の花器(バラが挿してある),中央手前のくじらの箸置き,小さな二つのボール(手の中で転がして遊ぶ)です。
2羽のウサギのうち,手前のうずくまっているのは某セメント会社の方からいただきました。右奥の笑っているのは,一目ぼれして購入した市販品。
左奥のR2D2は転職祝いにいただきました。たぶん,世界でただ一つ。こんなものを転職祝いにくださる方も,それがものすごく嬉しい私も,たぶん世界で少数派。
その手前のコンクリート琴(木琴鉄琴ならぬ)は,学園祭のときコンクリート研究室の学生から言い値の500円で買ったもの。お互いに得したと思った有難い一品。
手前中央の小さな小さな消波ブロックは,本物の消波ブロックを製作している会社からいただいたもので,今は作っていない貴重なものです(本物の消波ブロックは今でも作っています)。
私の大切なMy Favorite Thingsです。