2008年01月11日
大分とり天(大分便り23)
これが大分名物”とり天”です。
一見、唐揚げのようですが、
上のたれ(ポン酢)を付けて食べます。
お好みで、お皿の横についている芥子を付けます。
ちなみに我が家では、
本当に天ぷら粉を使ってトリの天ぷらを作ります。
その天ぷらの上にかぼす(大分名産、スダチを想像してください)
をちょっとふりかけ、昆布茶を塩がわりに付けて食べるのが
私のお気に入りの食べ方です。
最近のお気に入りです。
投稿者 dedemama : 11:33 | コメント (2) | トラックバック
2008年01月10日
熊本のお屠蘇(大分便り21)
熊本のお屠蘇に必需品の赤酒です。
味はみりん風?のお酒とでも言いましょうか。
お正月には欠かせません。
そのムカシ・・・別れた旦那の実家に行くまで、
赤酒は全国共通で使われるものだと信じ切っていたのですが、
どうやら、熊本だけで使われているようです。
(ちなみに、元旦那は佐賀出身。
お屠蘇には日本酒が使われていて、ちっとも美味しくなかった・・・)
幼い頃、お正月に赤酒を使ったお屠蘇を飲むと
ちょっと大人になったような気がしたものです。
我が家のチビ怪獣も今年、お屠蘇をひとなめして
「うん、うまい」
将来、酒豪!になる予感です。
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2008年01月09日
実家のお雑煮(大分便り20)
実家のお雑煮です。
私の実家では
京菜、水前寺もやし、焼いた丸餅などがはいるおすまし仕立てです。
ブログに写真をのせると言ったら、
今年は海老を入れ忘れ!豪華ではないからいやだそうで(笑)、
でも、のせちゃいました。
ちなみに、水前寺もやしは大豆もやしなのですが、熊本のお正月には欠かせない
ものです。
投稿者 dedemama : 16:45 | トラックバック
2007年12月28日
いきなり団子の作り方(大分便り17)
たぶん、今年、最後の更新です。
いきなり団子の作り方です。
サツマイモには火を通さず、生のまま使うのが正しい作り方のようです。
ということで、我が家の作り方をば・・・
1.小麦粉に塩を少々、お水を入れて、練っていきます。
(耳たぶぐらいの感じになったらOKです)
2.サツマイモとあんを包んでも破れない程度に薄く伸ばす。
もっちり感が好きな方は少し厚めがいいかもしれません。
3.小麦粉の薄皮の上に生のサツマイモ(1cmぐらいの厚さに切る)をおいて、
お好みの量の餡をトッピングします。
餡は、粒でもこしでも良いと思いますが、私は粒あんが好きです(^^;;
このままでもいいのですが、サツマイモが好きな方は、餡の上にサツマイモを
もう一枚おいてもOK
4.小麦粉の薄皮でしっかり包みます。(おやきのような感じでしょうか?)
5.蒸し器で蒸します。皮が透明になってサツマイモが柔らかくなったらできあがりです。
我が家では、蒸し器がないので、電子レンジを使って作っています。
爪楊枝でサツマイモをさして確認しています
非常にいい加減なレシピですが・・・
是非、ご家庭でどうぞ!
最近では紅イモをつかったり、小麦粉の皮に抹茶が練り込んであったりするものが
お店では販売されていたりします。
シンプルだから、色んなことができるのかもしれないですね。
そうそう、”いきなり”の意味なんですが、何でもサツマイモを”生”のまま(生成)使って
作るところから来たそうです。お店の方に聞いたので、どうなんだろう?
たぶん、正しい説なんじゃないでしょうか。
最後まで、いい加減ですみません。(へへへ)
投稿者 dedemama : 09:11 | コメント (5)
2007年12月26日
いきなり団子(だご)(大分便り16)
だご汁、太平燕に続く熊本の食、パート3です。
かじる前はこんな感じ
一口かじると、中身はあんことサツマイモというシンプルそのもの
これが、とっても美味しいんです。
だご汁同様、
いきなり団子
とかいて
「いきなりだご」
と言います。
熊本に来たときは、一度ご賞味あれ!
きっとやみつき(!)になる素朴な味です。
投稿者 dedemama : 08:42 | コメント (2) | トラックバック
2007年12月25日
太平燕(大分便り15)
大分便りなどと書きながら
熊本の”食”です。
我が家で作った太平燕(たいぴーえん)です。
春雨入り中華風スープ
とでも言いましょうか。。。
熊本では給食でも出た(今もカナ?)ポピュラーなものです。
お店で食べる太平燕には挙げたゆで卵が入ります。
給食の時はうずらのゆで卵だったような・・・
我が家ではたまごはちょっと省略して作ってみました。
投稿者 dedemama : 16:37 | コメント (2) | トラックバック
2007年12月18日
大分カルチャーショック(大分便り13)
大分に越してきて6年目になります。
今となっては慣れてしまったものの、越してきたときには
アッチャーと思ったことがいくつかあります。
1つ目は、コンビニ。
無類のコンビニ好きの私。
今は、さすがにしませんが、以前は、よくコンビニに行っては
趣味で、新商品チェックやっていました。
でも来たときに身近にあったコンビニと言えば
SPAR(今はCOCOという名前になっています)とファミリーマートのみ。
ローソンもセブンイレブンもありませんでした。
ようやく、今年になって雨後の竹の子のようにセブンイレブンが
あちらこちらにできていましたが、
大分に来た当初は県内に3箇所しかありませんでした。
ホームページでセブンイレブンのある場所、探したぐらいです。
2つめは、スマスマと月9ドラマ。
大分ではスマスマは金曜7時(しかも、時々なくなります。)
月9ドラマは月曜5時1週間遅れです。
日テレ系とフジ系が1局で放送されているので、
そのためか・・・
テレビで「一部地域を除きます」というテロップが流れますが、
大分はその「一部地域」になることが多い県です。
大分独自の時間割(!)となります。
大好きな福山雅治さんの湯川先生を見ることは、
未だに不可能です。(グスン)
おかげでテレビ大好きだった私はほとんどテレビを見なくなりました。
3つめは食べ物。
鳥天(とりてん)という食べ物があります。
鳥の唐揚げとも違う、鳥の天ぷら。
元祖は鳥の唐揚げと酷似しています。
天つゆのようなタレに付けて食べます。
大分は宮崎同様、鳥をよく食べる文化圏のようで、
大分に来て、沢山、鳥を食べるようになりました。
だご汁も熊本と大分、両県にあるんですが、
大分のだんごと熊本のだご、ちょっと違います。
我が家の定番のだご汁は熊本バージョン。
大分のだんごは、きしめんに近いかもしれません。
(コメントにあったように)
大分に来る機会があれば、
大分名物のとり天とやせうま(きしめんのきなこまぶしのようなもの)
をご賞味下さい!
投稿者 dedemama : 17:02 | コメント (1)
2007年12月10日
映画「恋空」(大分便り9)
大分ロケが敢行された映画「恋空」
ロケ地に私のお勤めしているところも入っているそうです。
ケータイ小説の実写版化で新垣結衣さんが主演しているらしいのですが、
ジツハ、
ロケ地に入っていること最近まで知りませんでした(^^;;;
(11月3日から東宝系で放映中らしいです)
情報として、目に入っていたのですが、
どうせ、映画は見に行けないからな・・・
という思いが先に立って、目に入っても脳にしっかりインプットされていなかったようです。
そういえば、最後に映画を映画館で見たのはいつだっただろう???
10年ぐらいムカシだった気がします。
映画、大好きで、週1は見ていた時期もあったんですが(へへ)
この次、映画館に行くのは、チビ怪獣が見たがるヒーローものかなぁ~。。。。。
投稿者 dedemama : 13:11 | トラックバック
2007年12月08日
我が家の定番(大分便り8)
冬の定番メニューといえば、
お鍋
と言う声が聞こえてきそうですが、
我が家はチビ怪獣デデゴンがハイハイをはじめた頃から
冬の定番メニューが
”お鍋”から”だご汁”へと変わりました。
(これ(↑)が我が家の定番メニューです)
”だご”というのは、熊本弁で”団子”のこと。
小麦粉をこねた団子を指しているような気がします。
(これ(↑)がその”だご(団子)”です)
熊本名物の”いきなり団子(だご)”も
小麦粉を練ったものの中にサツマイモとあんこをいれて蒸し上げたシンプルな昔ながらのおやつ。
けっして上品ではないけど、大好きなお茶うけとして、未だに熊本から大分へ冷凍いきなり団子を
購入しています。(機会があれば是非、ご賞味下さい)
さて、話はもどりますが、
このだご汁、我が家の場合、メインの具材は沢山のお野菜(葉物、根菜物ぜーんぶ)
お手伝いしたい盛りのチビ怪獣デデゴンにはもってこいのお料理となっています。
なにせ、小麦粉をこねて団子にする、なーんていうのはもっとも遊び要素たっぷり。
真っ白なお顔になりながら団子を得意気に作ってくれます。
寒くなってきた今日この頃、
そして、病み上がりには栄養満点な味噌味のだご汁が我が家の食卓にのぼります。
大きな鍋で沢山作れば、2-3日は手抜きがOK(へへっ)
最後はうどんかご飯を入れて、だご汁うどんかだご汁雑炊でぜーんぶ食べ尽くします!
投稿者 dedemama : 10:04 | コメント (4) | トラックバック
2007年11月02日
遠州浜松日記-12
のびゆく浜松(11/2)
のびゆく浜松・・・をイメージして創られたのが、
この鉄のモニュメントです。
向かい合ったふたつの塔は約15メートルの高さ。
この写真だと、何となく反射炉の形に似ていませんか。
もう30年くらい前に建てられました。
駅前地下広場の中央にあって回りは人工のせせらぎです。
休日はこの回りの石に腰掛けてランチする人も見られます。
当初、鉄はいい色に錆びる・・・と言われていたのですが、
赤錆色というのは、どーも市民に評判が良くなくて、
さびゆく浜松・・・なんて皮肉る人も出たりで、
錆びないコーティングを施されました。
市民アートへの賛否はつきることがありません。(紫屋)
投稿者 murasakiya : 21:30 | コメント (2) | トラックバック
2007年10月21日
遠州浜松日記-6
JR浜松駅(10/21)
お待たせしました。
これが、JR浜松駅です。
駅のデザインはどれも良く似ていて、駅名が書いて無かったら
どこか分かりませんね。浜松駅も残念なことにそう。
今建設するなら、ご当地デザインになったと思いますが、
25年以上も前は、これがスマートだったわけ。
駅前は緑の植栽が繁り悪くないと私は思っているんですが、
やれ暗いの、駅が見えにくいの、とにかくどんなデザインをしても
誉められないというのも「駅」だと・・・感じるんです。(紫屋)
投稿者 murasakiya : 22:12 | コメント (1) | トラックバック
2007年10月17日
遠州浜松日記-5
綿の収穫(10/17)
今年も始まりました綿の収穫。
木綿織物の産地浜松なので、綿畑くらい持ちたいと発起、
和綿づくりのNPOに参加して、毎年わずかばかり栽培しています。
和綿(わめん)は、綿の房が下向きになるのが特長です。
雨の多い日本の気候風土向きなんですって。
綿の種は、五月の連休のころ蒔きます。
八月頃から、薄黄色の花が咲き、実がふくらみ、秋の深まりとともに
実がはじけます。実は3~4つに分割され、写真のような綿の房が
垂れ下がります。乾いた頃を見計らって、丁寧に収穫・乾燥します。
収穫期は結構長く、年を越しても摘むことができます。
遠州紫屋は、明治の頃から綿布問屋と紫根染めをやっていましたが、
戦前に破産して廃業、60年余りそのままになっていました。
屋号が大変気に入っていたので不肖孫嫁が名乗りました。で、紫屋。
(紫屋)
投稿者 murasakiya : 19:27 | コメント (7) | トラックバック
2007年10月07日
遠州浜松日記-2
遠州縞(えんしゅうじま)10/7
遠州縞は、綿素材で作られ、
黒に近い紺色地にチョンチョン絣(かすり)と呼ばれる
細いカスリ糸をタテ糸に配した縞柄の織物です。
縞柄の構成は、親縞と言う太い縞の横に、
子縞と言うカスリ糸の配置を特長とします。
親子が寄り添うようなイメージで設計されています。
夏は水色系統の糸を入れて「夏縞」、
冬は赤系統の色を入れて「冬縞」と呼び、
ささやかなおしゃれ心を満足させていたのです。
遠州織物は、江戸時代の中期に農家の副業として、
女たちによって織り始められました。末期には、
織物生産の技術と織機が進歩・改善されて、
農家の副業から専業へと移り変わってきました。
織物業の主な働き手は女たちでした。
「小山みい」「木俣くら」といった女性たちの活躍は有名です。
浜松女の心意気のルーツとも言えます。
ここらへんの女傑の話、だんだん紹介させてください。(紫屋)
投稿者 murasakiya : 19:26 | コメント (5)
2007年09月24日
タコヤキ
私は大阪出身なので、タコヤキが好きです。子どもの頃、商店街の屋台やお祭りの出店で買ってもらうのが楽しみでした。家で昼食やおやつに焼くのも好きでした。大阪の家庭では、タコヤキ用の鉄板は普通にあるものです。その習慣から、我が家も子どもが小さい頃は、休日に子ども達と遊び感覚で作っていました。
カリフォルニアに留学中の子が帰宅した時、「家で食べたいのはタコヤキ」と言っていました。日本食材を扱う店があり、たいていのものは手に入るけれど、タコヤキはないのだそうです。
お好み焼きも好きですけど、タコヤキの方が遊び気分がありますね。
山口では、お好み焼き屋さんは、関西風の焼き方と広島風の焼き方の店があります。どっちも好きです。広島風はボリュームがあるので、しっかりした食事になります。
ハナトラノオ(カクトラノオ)
ハナトラノオは茎の断面が四角いので、カクトラノオともいいます。耐寒性の多年草で、植えっぱなしで、よく咲いています。
投稿者 yama : 17:45 | コメント (5) | トラックバック
2007年09月19日
橋,, 夕暮れ
山口県内で、建設中の鋼製の橋が崩落したというニュースがありました。県西部下関で、広域農道整備事業の一環として建設中の橋。ケーブルエレクション工法で、両岸の仮設の鉄の門型支柱が根元から倒れたということです。私は現地を知らないし状況もわからないのですが、同じ県内で設計に関わるものとして心配です。
携帯電話のカメラ機能を今まであまり使っていなかったのですが、このブログの為の撮影で、結構使えるということがわかってきました。会社の近くの川です。四方を山に囲まれていることがよく見えると思います。
夕暮れ時刻が早くなってきました。帰路が暗くなってくると思い出すのが、はじめて山口に来た時の夜の街の暗さです。街灯が少ない上、家屋は雨戸を閉めて光が外に出ないようにしているので、非常に暗いです。出張などで遅くなると、駅前の自転車置き場にとめた自転車を探すのも大変。帰り道は、通り過ぎる車のライトと、所々にある自販機の明かりが頼りです。
私は自動販売機は好きではありません。こんな住宅地に自販機は必要ないのでは、と思うようなところに設置してあり、昼間に見ると、うんざりします。でも、深夜に自販機の明かりに出会うと、ちょっとホッとします。新興住宅地では、雨戸まで閉めている家は少なく、カーテンごしにうっすらと明かりがもれて来るので、自宅近くまで帰ってくると、人の気配を感じることができます。
子どもが高校時代、部活や習い事で遅くに帰ってくることが多かったので、治安を心配していました。最近は、自治体の補助で、街灯が少し増えてきていますが。
シコンノボタン
中南米原産の常緑低木。オシベが長く飛び出しているのが特徴。夏から秋にかけて、次々に花をつけます。
投稿者 yama : 21:21 | コメント (2) | トラックバック
2007年09月17日
方言
山口の話し方は、ちょっと東京風の切れのいいところがある一方、語尾は、広島の「じゃろ」、北九州の「ちゃ」があったりします。
最初の音にアクセントのあることが多く、やまぐち、こうちょうせんせい、やまださん、、。
たまに方言だと知らずに使っている言葉があります。例えば「たう」というのは「届く」とか「足りる」とかですが、「たう」の否定形「たわん」は方言とわかっていても、「たわない」は標準語と思われていて、学校文書に使われていたことがあります。また、「幸せる」という動詞があります。「○していただけると幸せます」と学校からの文書に書かれていたり、公的な会合で発言されたりします。
それから、「おはようございます」に対して、「おはようございました」と言われることがあります。「おはようございます」も使うので、なぜ過去形なのか不明です。
「しちゃった」「きちゃった」という完了形のような表現での敬語があります。「先生が来ちゃった」は来てしまったではなくて、来られた、のことです。「おられた」は「おっちゃった」。私は意味はわかりますが、自分では使えません。まねしてもどうも変なので。
ペンタス
花びらが星形に5つにわかれているので、ペンタ(=5)が語源だそうです。多年性の植物で、花は夏から秋にかけて咲きます。
投稿者 yama : 17:33 | コメント (4) | トラックバック
2007年09月10日
運動会
先週末、中学校の運動会でした。小学校の運動会に比べると、保護者の観覧数は少ないのですが、それでも、隣り合う小学校の校庭が一杯になるほどの車の数でした。
小学校の運動会は、9月下旬の週末の予定です。祖父母だけでなく、おじさん・おばさん一家まで招待して、親戚一同で応援に来る、という家庭も珍しくありません。したがって、昼食時には、ビーチパラソルやキャンピングセットまで登場し、重箱を広げるという、豪勢な昼食となります。天候判断で朝6時に開催の連絡の煙火があがるのですが、そこから観覧席の場所取りOK。テントとブルーシートを学校側が用意しますが、その上に自分のシートや座布団を敷いておき、開会式前には家族が揃って陣取ります。
PTAのバザーとして、アイスやジュースを売るテントも出て、お祭りのようになります。
団体演技などでは、花笠音頭、ソーラン節といった年輩者受けのいいものを披露してくれます。
上の子は京都で小学校時代を過ごしたのですが、運動会は平日で、給食がありました。出場時間帯を教えてもらって、その時間帯だけ時間休暇を取って見に行く、というものでした。学校行事としての運動会は、この程度でいいと思います。
地域行事として期待されているこちらの運動会は、イベント的要素があり、それはそれでおもしろいのですが。
スイレン
スイレンは、多年草(宿根草)の水生植物です。土の中の地下茎から長い茎を伸ばし、水面に葉や花を浮かべる特性なので、スイレン鉢に水を入れ、スイレンを植えつけた鉢を沈めています。早朝ではまだ花が開いていないため、休日を待って撮影しました。スイレン鉢では、ボウフラ対策として、メダカを飼っています。
投稿者 yama : 20:16 | コメント (5) | トラックバック
2007年09月09日
湯田温泉街のマンホール蓋
湯田温泉の中心的な通りには、温泉や通り名にちなんだマンホール蓋があります。自転車や徒歩で通っていて、興味はあったのですが、今回、じっくり見て回りました。車のよく通るところにもあって、車が途絶えるのを見計らって撮影しました。
湯田温泉駅からホテル街までの道と、ホテル周辺の足湯めぐり、おみやげ探しなどで通る道にありますので、湯田温泉にお越しの際はぜひご覧下さい。
湯の町通り
6枚組のストーリーになっています。
お寺の境内に池があり、毎晩白狐が傷ついた足をつけにくるのを見ていた和尚さんが、その池の水をすくってみると温かい、そこで池を掘ってみると、湯が湧きでて、薬師如来像があらわれました。この像を拝んで湯あみをすると難病が治ると評判となり、温泉として栄えたということです。(観光パンフレットより抜粋)
おいでませ駅通り
「駅通り」ではなく「おいでませ駅通り」ということをはじめて知りました。SLとゆう太くんのデザインが微妙に違う2枚。同じデザインが2枚使われているところもあるのですが、この違いは何?と疑問。
下の絵は、ちょうちんまつりの雰囲気がよくでています。カラーのいいところ。
元湯通り
温泉通り
白狐さん、ペアや家族連れで浸かっています。左のは、ややピンク、女の子かしら。
公園通り
維新街道
中也通り
えびす通り
ほろよい通り
山頭火通り
酒と旅を愛した俳人 種田 山頭火の句碑近くの山頭火通りです。
普通のマンホール
一般に使われている蓋、パラボラアンテナとちょうちんまつりです。この写真ではパラボラが「USUI」、ちょうちんまつりが「おすい」になっていますが、汚水、雨水の区分ではなく、パラボラで「OSUI」のところもありました。
詩人 中原中也生誕地。記念館が建っています。この前の道が湯の町通り、ここから高田公園への道が中也通り。
あちこちにいる キツネくん。
2007年09月06日
制服
山口に来て驚いたことの一つに、制服が多いということがあります。子ども達は、保育所・幼稚園から、小学校、中学校、高校まで制服です。(一部、新設小学校では制服がないところもあります。)
私は大阪育ちですが、小学校時代は標準服はあったものの、必ずしも着ていませんでした。学生時代を過ごし結婚後子供達を育てた京都でも、制服はあまり見なかったので、小学生が制服に黄色い帽子で登校する姿にはちょっとびっくりしました。
仕事着としての制服もよく見ます。保育所の送迎や夕方のスーパーでも、社名の入った作業着やベストスーツなどの人たちをよく見ます。自動車通勤が多いので、仕事着のまま往復するらしいです。
台風9号、こちらには全然影響ありませんが、東日本は雨が心配ですね。
ベゴニア
日当たりが強いと葉色が悪くなりますが、丈夫で育てやすいです。これは八重のタブレット。
2007年08月29日
大阪の思い出
今、世界陸上が開催されている大阪長居陸上競技場は、中学、高校時代に体育行事で使ったところなので、なつかしいです。私の中学は、大規模校だったので、校庭で運動会ができず、校外の会場を借りて行っていました。
現在の施設はもちろん当時とは違ってリニューアルされたものですが。
ポーチュラカ
暑さに強く、挿し芽で簡単に増えます。日当たりが悪いと花つきが悪くなります。また、開花時間がやや短めです。
昔の話のついでに、高野山の思い出。大阪の小中学生は、宿泊研修に高野山に行くことが多いと思います。私は、たぶん中学1年の夏の研修で行ったと思うのですが、その時に「しゃもじ」をもらって帰りました。「しゃもじは一生ものだから、結婚するときも持って行きなさい」と言われて、なぜか素直に、大学入学後の一人暮らしからずっと使っています。炊飯器を買うと付属のしゃもじがあるので、それらと交互に使いつつ、今に至っています。先が少し変形してきましたけど。
投稿者 yama : 18:28
2007年08月26日
町内会の役割分担
今月は、町内会の班当番でした。班当番は、月ごとに順にまわってくるもので、役割は、
月2回の広報誌の配布
回覧板の管理
月末の町内会費集金
です。町内会費を集金して会計の役員宅に届けてきました。
町内会の役員は、各班から1~2名でて、1年間、町内の世話をします。
春の運動会
梅雨前の溝掃除とそのあとの懇親会
夏の球技(バレーボールとソフトボール)
冬の駅伝大会
が主な行事です。
この他、小学生の子どものいる家庭が入る子ども会があって、
春の親睦会
花壇整備
夏休みのラジオ体操
資源回収
地区のクリーン作戦(ごみ拾い)
朝の通学路の交通安全指導
などをしています。
可燃物(週2回)、不燃物(月1回)、プラ容器包装(週1回)は、回収ステーションに出しますが、資源物は、区分してコンテナに入れるため、立会人の当番がまわってきます。月1回です。
缶、ガラスびん(透明、茶、その他)
ペットボトル、古紙(新聞、雑誌、ダンボール、紙製容器包装、紙パック)
回収時間帯は7時から8時半までで、立会人は30分交替です。ガラスびんは食品の入っていたもののみなのですが、化粧品のビンを出す人や、割れたコップを出す人がいたりするので、そういうチェックをすることになっています。古紙やアルミ缶は、子ども会が行う資源回収に出すと、収益金と市の補助金は子ども会の収入になり、市の回収に出すと、資源代はなく、立会手数料だけが町内会への収入になります。
ごみ、資源の出し方は、地域によって、ずいぶん違うのではないかと思います。
マリーゴールド
丈夫で育てやすく夏の花壇の定番。土の中に潜むセンチュウという虫を駆虫する効果があるといわれています。夏の暑さで弱った株も切り戻してやると秋にまた咲きます。
投稿者 yama : 18:11 | コメント (5) | トラックバック
2007年08月25日
広島の京都市電
技術士会中四国支部(広島)の会議に参加してきました。
広島市内には路面電車が走っているのですが、京都市電が私が京都にいた頃の姿のままで走っていて、とてもなつかしく思いました。
ブッドレア
落葉低木で、枝先に薄い紫色の穂状花をつけます。
京都市電で思い出したのですが、ちょうど今、京都では地蔵盆の時期です。お地蔵さんの前にテントを張り、提灯をさげて、2日間、子供達のお祭りとなります。お坊さんに来てもらって、読経と数珠回しがありますが、それ以外は、ゲーム、宝探し、くじ引きなど、楽しいことの連続で、さらに、お菓子を配ってもらったり、流しそうめんやカキ氷、スイカわりなど、食べることもいっぱい。夜は浴衣を着てでかけ、ミニ発表会のようなこともしていました。子供達にとって、夏休み最後のイベント。なつかしく思い出しました。
2007年08月19日
山口市の観光スポット
山口市内の観光スポットを案内します。
新山口(小郡)と津和野の間を、春から秋の土日を中心に1日1往復しているSLです。これは、去年秋、山口駅で撮影しました。以下の写真も去年秋のものです。
山口駅から県庁までの道の途中にあるサビエル記念聖堂です。以前の建物は平成3年に焼けてしまい、平成10年に再建されたものです。斬新なデザインです。
県庁の一部にある藩庁門です。慶応3年にできたもので、県の重要文化財です。
県庁旧館です。大正時代の建物です。現在は県政資料館になっています。県の審議会の委員をしているのですが、この建物内の会議室を使ったこともあります。国の重要文化財です。
県庁から少し東に行くと、一の坂川です。春には桜が咲き、初夏にはゲンジボタルが乱舞し、秋にはアートフルといって周辺の店や家のお宝を展示する催しが行われるなど、市民に親しまれているところです。
その少し北、瑠璃光寺五重塔です。日本三名塔のひとつだそうです。国宝ですが、この塔の周辺の公園は入場無料です。裏山をバックに池とともに撮影するのが観光用の写真ですが、その山から見ると塔の向こうに県庁が見えます。
2007年08月18日
庭園と郷土料理
アメリカからの来客と家族で、山口湯田温泉の老舗旅館松田屋に行ってきました。明治維新の志士達が集い、新たな時代の夢を語ったという史跡でもあり、館内にはその歴史を感じさせる展示物がありました。
かわらそばです。焼いた瓦の上に、焼いたソバが盛り付けてあります。
いちじくのデザートと郷土料理のいとこ煮(あずき、白玉、椎茸)
2007年08月08日
ういろう(外郎)
山口の手土産でういろうを持っていくと意外な顔をされるのですが、山口名物です。名古屋のは米が主原料ですが、山口のはわらび粉やくず粉で作っており、六百年以上の歴史があるそうです。小豆、抹茶は、以前からありますが、業者によって、いろんなものを入れています。
今回は生協の宅配で頼んだもの。萩の名物、夏みかん入り。一緒に入っていた案内によると、春は桜、秋は栗、冬は黒糖入りを作っているそうです。食べ切りサイズです。お茶でもコーヒーでもあいます。なお、「おいでませ」とは「よくいらっしゃいました」の方言です。
小学校の社会見学で工場に行きますが、自動車工場見学だと、お土産は自動車の写真の下敷き、ういろう工場に行くとお土産はういろう、とあって、子供達はういろう工場に行ける年にあたるとラッキーだと喜びます。
ヒマワリ
夏らしい花。暑いけど、がんばろうという気になります。
寄植え
投稿者 yama : 12:14 | コメント (6) | トラックバック
2007年08月07日
ポストの数
京都で学生だった頃、「ポストの数ほど保育所を」という婦人団体のポスターを見て、「それって多くない?」と思っていたのですが、山口に来て、ポストが少ないことがわかりました。右の写真は、自宅から会社までの間にある一つのポスト。車の列の左にあります。民家の郵便受けより少し大きい程度、収集回数も少ないです。
京都時代では、自宅から保育所まで、保育所から職場までのそれぞれ十分ほどのコースに、二つ以上ありました。
こちらでは、車移動が普通なので、車が止めやすいところであれば、少々遠くても問題ないのでしょう。私達夫婦は車に乗らないので、徒歩や自転車圏内に公共的サービスが少ないとヒシヒシと感じます。年配の方々は、歩いてシルバーカーを押して買い物に出られています。子どもからお年寄りまでが、不便なく暮らせる街が大事だと思うのですが。
郵便局も少ないので、ポストの数までとはいかなくとも、郵便局の数ほどは保育所がほしいと思います。もう私自身が保育所を利用する世代ではなくなりましたが、若い人たちが、働き続けられるために。
インパチェンス
斑入り葉が涼しげに見えるので、今年初めて買ってみました。
トレリスに掛けている寄せ植えです。八重は豪華な雰囲気が出せ、一重のいろんな色も楽しいので、どちらも好きです。
サギソウ
サギソウが咲き始めました。うまい形に咲くものです。小さな球根がわかれて増え、今年は3鉢になりました。
2007年08月02日
足湯
会社は湯田温泉駅のすぐ近くです。温泉水は無色透明のアルカリ性単純泉です。
湯田温泉は白い狐が見つけたと言われているので、駅前には白狐「ゆう太くん」のモニュメントがあります。
温泉街の数箇所に足湯が整備されています。昼休みに行ってみました。真夏の暑さの中、足をつけている方々がいました。
マンホール蓋にも白狐です。
庭の花を紹介します。
毎朝楽しませてくれるアサガオです。右はヨルガオ(ユウガオ)。
投稿者 yama : 06:22 | コメント (4) | トラックバック
2007年05月23日
Nara
「そうだ 京都、行こう。」
というJR東海の、テレビコマーシャルがあります。
(http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/doc/campaign
http://swfblog.blog46.fc2.com/blog-entry-689.html)
詩仙堂に行きました。
(http://jr-central.co.jp/museum/kyoto/summer_1997_01.html
http://www.geocities.jp/swfblog/jrtokai/7.html)
イギリスのダイアナ妃が来日し、
詩仙堂を訪れた時の写真が飾ってありました。
昔、フレディー・マーキュリーが、
お腹出して、マイクをガンガンに振り回しているコンサートをテレビで見ていると、
ダイアナ妃が観客にいらっしゃるのをテレビで写していて、
外国ってすごいと私は思いました。
(「Radio Ga Ga」が、私は好きです。
♬「Radio what’s new? Radio someone still loves you」♪)
「いま、ふたたびの 奈良へ。」
というJR東海の、テレビコマーシャルが出るようになりました。
(http://nara.jr-central.co.jp/ ←音楽が鳴ります。)
奈良の良さがわかるかなあと思います。
なぜなら、京都と比べて、
地味かもしれないと思うからです。
奈良の、のんびりと時間が流れている良さが、
短い旅行でわかるかなあと私は思います。
短い旅行ですと、
東大寺の、
「お水取り」を、
一生に一度は見た方がいいなあと私は思います。
しんしんと底冷えする奈良の夜に、
お坊さんが、
修行で、
大きなたいまつを抱えて、
階段を登っていき、
二月堂の端から端まで通ると、
赤々とした火の粉が舞い、とても美しく、
その火の粉が当たって、熱かったりします。ヽ(゚▽゚)ノ
(http://nara.jr-central.co.jp/campaign/gallery/index.html
↑「|ギャラリー」の、「東大寺篇」を、字が赤くなるように押すと、
右上の方に、「テレビコマーシャル」(「お水取り篇」)があります。
http://www.todaiji.or.jp/index/hoyo/syunie-open.html)
その後、二月堂に入ることができ、
そこから見る、奈良の夜景がとてもきれいです。ヽ(゚▽゚)ノ
二月堂のお座敷の中では、
お坊さんが四角の輪になって、
お経を唱えながら、
ぐるぐる回っては、礼をし、
ぐるぐる回っては、礼を繰り返す修行をされておられるのが見えます。
東大寺は、
戒壇院にも行かれた方がいいなあと私は思います。
四隅にいらっしゃる四天王像に囲まれて、
独特の空間があります。
( http://www.todaiji.or.jp/index/index-annai.html)
(現在、戒壇院は、残念ながら、中の方に入れなくなっていました。)
法隆寺もいいなあと思います。
仏像や宝物など、見るものがたくさんあります。
(http://nara.jr-central.co.jp/campaign/gallery/index.html
↑「|ギャラリー」の、「法隆寺篇」を、字が赤くなるように押すと、
右上の方に、「テレビコマーシャル」(「法隆寺篇」)があります。
http://www.kcn.ne.jp/~kingyo/index.html)
法隆寺の隣に、
中宮寺があります。
( http://www.horyuji.or.jp/chuguji3.htm)
奈良と言えば、鹿とよく言われますが、
それを言うなら、
古墳かもしれないなあと、私は独断的に思います。
以前、奈良の航空写真を見ましたが、
奈良市内はもちろんのこと、
奈良市外も、至るところに、
古墳がありました。
なんでここ家建ってへんねやろと思ったら、
小さな山で、えらいきれいな形した山やなあと思ったら、
それは古墳だろうと思います。
そして、その山の隣を、
まだ歩くのかあと思いながら、
てくてくてくてく歩いている時間が、
奈良らしいと、私は独断的に思います。
そういう感じでは、
日本最古の神社をつなぐ、
日本最古の道といわれる、
天理の石上神宮(いそのかみじんぐう)から
桜井の大神神社(おおみわじんじゃ)まで続く、
山の辺の道(やまのべのみち)がいいなあと私は思います。(´ー`)
(http://www.tenri-iexpress.com/tourist/yamanobe/yamanobe_p1.html
↑写真を左上から押すと、歩いた気分になります。
途中で写真が切れてしまうようですが、続きの写真を押すと、続きが見れます。)
飛鳥に、
甘樫丘(あまかしのおか)があります。
畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)、天香具山(あまのかぐやま)の、
大和三山が見渡せます。(´ー`)
(http://www.asukamura.jp/manabi/sizen/index.html)
夕日がとてもきれいでした。
奈良は、どこでも、
夕日が赤々として、とてもきれいです。
投稿者 ほうれんそう : 21:31 | コメント (3) | トラックバック
2007年05月19日
ケーキ考
三浦しをんさんの、
「まほろ駅前多田便利軒」(文藝春秋)という本では、
「コーヒーの神殿 アポロン」でしょう喫茶店は、
よろいがあったり、あやしいです。( ̄▽ ̄)
「仲通り商店街」の、
「焼き鳥 鳥増」があるとされる脇道には、
恐くて、足を踏み入れられませんでした。
以前、「南口ロータリー」で便利屋さんの広告を見ました。
「横中バス」が来るのを待ちながら、
どんな仕事をするんやろうなあと思っていました。
(「このあたりの年寄り」も、
そうでない方もおられると思いますが、
「横中バス」に、一駅乗っては降り、一駅乗っては降りし、
ただで乗り放題される方も中にはおられて、
どっちもどっちかもしれないなあと思ったりします。)
「まほろ駅前多田便利軒」に出てくるお店や場所は、
本の空気に合っていて、
「岡」さんといい、登場人物も居そうな方々で、
町に詳しいなあと思います。
「まほろ大通り」をまっすぐ行き、
「仲通り商店街」と交差する辺りで、
私は、時と場合により、
ミスタードーナツの100円セールの誘惑に勝てなくなります。
それで、カロリーを見ましたが、
「チョコカスタード」など、意外なものもあり、
見てみないとわからないなあと、またも思います。(^・ω・^)
(http://www.misterdonut.jp/menu/eiyou/eiyou_r.pdf)
関西と関東の違いで、
うどんとそばが言われますが、
本当に関西はおうどん屋さんで、関東はおそば屋さんがあります。
私が独断的に、違うなあと思うのは、
靴とケーキです。
カロリーを気にしながらも、
私は、ケーキが好きです。(●^v^●)
そして、
東京には、
私好みの、おいしいケーキがないと、
私は独断的に思います。
東京のケーキは、
きれいで華奢で、
フルーツを煮詰めたりし、
味が濃くなったケーキがおいしい
という基準があるような気が、私はします。
有名なケーキ屋さんに行けば行くほど、
そんな気が、私はします。
神戸のケーキもきれいで華奢ですが、
ふらっと入ったお店でも、
お水がおいしいからか、
生地がおいしいと思います。^v^
フルーツから、水にいたるまで、
いい素材が安く手に入りにくいからかなあと思ったりします。
田舎や、関西のケーキは、
特色があったり、
ボリュームがあり、食べ応えがあって、
おいしいと、私は思います。^v^
以前、私は、
YOU1先生の、
「京のお菓子味見録」の「独断的評点」をもとに、
京都の和菓子、生菓子を持ち帰っては、
YOU1先生の、お菓子の感想を見ながら、
どうおいしいのかを、逐一検証しては、
一喜一喜していました。ヽ(゚▽゚)ノ
(http://www.geocities.jp/kyo_gasi/main/bunrui_hy.html
YOU1先生、ありがとうございます。o(^-^)o)
YOU1先生は、
「命がけの食べある記」(京都新聞)を
書かれていらっしゃっただけあり、
お菓子の感想がとても的確で、感動します。
(http://kyogashi.kyoto-np.co.jp/modules/tinyd1/)
「命がけの食べある記」は、
「京菓子は素材で始まり素材に終わるといえるのではないだろうか。」
と書かれ、
「素材と京菓子文化の関わりを考えると、
そこには途方もない奥深さを感じることができる。」
と締めくくられます。ε-(´・`)
私は、喫茶店で勉強したりします。
「駅前の大通り」の、
白鳥ビルにある喫茶店は、
アールデコっぽくて、シックで、素敵です。(´ー`)
机やいすなどは黒を基調として、白壁で、
いろいろな照明がきれいです。
以前、とても長い、一枚板の机があり、
使い込んで古い感じも、味になっていました。
(改装工事の時に、取り替えられてしまい、残念です。)
誰が建築設計したのだろうと思いを馳せてしまいます。
最近、赤を基調とした喫茶店が多い気がします。
赤にするとお客さんの入りがいいのでしょうか。
同じ通りの、赤い感じの喫茶店に、
「Cookie Set」があります。
「お好きな クッキーに+100円でCoffee or teaが付きます。
どうぞ御利用下さいませ。」
です。
クッキーは1個100円~160円、
ホームブレンドは200円、紅茶(ポット)は220円です。
私は、「Cookie Set」で、ミルクティーを注文し、
得した気持ちになります。( ̄▽ ̄)
新種のサービスだなあと思います。
2007年01月30日
ふゆみずたんぼ
聞きなれない言葉ですが「ふゆみずたんぼ」とは,冬の田んぼに水を張ることで施肥効果や抑草効果,害虫対策などを得て稲を育てる,無農薬無肥料の伝統の稲作農法のことです。江戸時代の頃は「田冬水(たふゆみず)」と呼ばれており,その後は「冬期湛水水田」と呼ばれてきましたが,馴染みにくいということで近年「ふゆみずたんぼ」という言葉が使われるようになりました。
この「ふゆみずたんぼ」は全国各地で復活する兆しにありますが,宮城県北部でも広い範囲の水田が「ふゆみずたんぼ」となっています。その「ふゆみずたんぼ」の中心には蕪栗沼(かぶくりぬま)という沼があります。干拓事業により今はずいぶん小さく(150ha)なってしまっていますが,かつては北上川本流の巨大な自然遊水地でした。その沼に隣接する地区にはしらとり地区と呼ばれる湿地(50ha)があります。この湿地は10年前までは水田でしたが,関係者の合意のもと浅く水を張って沼に復元されました。この沼と湿地とに隣接する周辺の水田が,「ふゆみずたんぼ」として復活したのです。
「ふゆみずたんぼ」の特徴は,様々な種類の生物が生息していることです。春はカエルやメダカ,夏はトンボや水草やクモ,秋はイナゴやカマキリ,そして今の季節の冬は,白鳥や雁や鴨などの渡り鳥です。この蕪栗沼を中心とした「ふゆみずたんぼ」は,10万羽の雁が越冬する日本を代表する渡り鳥の越冬地となり,一昨年(2007年)11月に,国際的に重要な湿地を守るラムサール条約湿地にも登録されました。
私は今年,この「ふゆみずたんぼ」のカレンダーを使っています。各月を代表する田んぼの生物がイラストや写真で解説されていて,綺麗で楽しいカレンダーです。3月はカエル,7月は水草,11月は雁(ガン)など。
以下は,この冬の沼を中心とする湿地と「ふゆみずたんぼ」の様子です。
沼で眠るマガンやオオヒシクイの群れです(左)。一見わかりにくいのですが,ツブツブしているのがすべて鳥です。マガンは翼を広げると最大150cm,オオヒシクイは190cmにもなる大型の水鳥で,姿はカモに似ていますがカモよりはハクチョウに近い仲間です。ガンの仲間は本来とても警戒心が強く,また環境に敏感な鳥のため,ガンのいるところはそれだけで環境が豊かであるという証拠となります。マガンの生息には沼と水田がセットになった環境が必要ですが,全国各地の沼が消滅したため,この周辺に9割以上が飛来してきています。そのガンが危険を感じないため,近くをトラクターが作業していても飛び立とうとしません(右)。人間と鳥が共存できていると言えるのでしょう。
湿地の様子(左)。ハクチョウやカモが泳ぐ上空をトビが舞っています。猛禽類(右;トビ)は食物連鎖の頂点におり,猛禽類が多数いるということは,食物連鎖を形成する下のレベルの生物が多数いることを物語っています。
ガンは,日中は沼の岸辺で眠ったり田んぼで落穂を拾って食べたりしていますが,夜間はねぐらである沼にいます。夜明け,何万羽という雁がいっせいに飛び立つ様は一度見たら忘れられません。写真左は,しかし,それを知らずに日中ここに来てしまった人のための立て札。夕方まで待てば,夜明けほどではありませんが多数でねぐらに帰る様子が見られます。「いっせい」には及ばないけれど,小さな群れで飛び立つガン(右)。
他にもサギの仲間などの水鳥が多数いるので(左),羽毛もいろいろな種類がたくさん落ちています(右)。一日集めれば枕くらいにはなるかも知れません。
ここの近くには縄文時代の遺跡(左)や貝塚(右)も多く出土しています。縄文の時代から人と生物が共存してきたのだとしたら,その環境を後世に残していくのは私たちの使命だと思っています。
投稿者 watanabe : 22:53 | コメント (4) | トラックバック
2007年01月27日
せんだいメディアテーク
ケヤキ並木で有名な定禅寺通りに面した,複合文化公共施設です。
「メディアテーク」とはフランス語で「メディアを収める棚」を意味しているそうで,ここでは,書籍,ビデオ,DVD,CD,CD-ROMなどの映像や音楽を集めて市民に提供すると同時に,市民参加型の各種のイベントを開催しています。
もともとは,べつの場所にあった仙台市民図書館が老朽化したためその代替施設を造る予定だったのですが,せっかくなので単なる図書館ではなくギャラリーも併設し,さらに時代の要請に応えて,映像や音楽などのあらゆるメディアの収蔵・閲覧・鑑賞を可能とする施設にすることにしたのがメディアテーク建設の経緯で,2000年に完成しています。
写真でわかるように,この建物は通りに面した部分の壁がガラス張りで人目を引くのですが,それだけでなく建築物として評価が高いそうです。私は建築のことはとんとわからないので,間違っていることがあったらごめんなさい。
まず,構造としては,建物全体がチューブと呼ばれる13本の鉄骨独立シャフト(主に鋼管トラス構造)と,7枚の鉄骨フラットスラブ(ハニカムスラブ:鋼鈑サンドイッチ構造)のみで構成されており,これは、「柱」によって建てられる旧来の日本家屋と建築思想が同じだそうです。このチューブは,屋上の採光装置で反射した太陽光を建物内部に取り入る役目のほか,ネットワークや空調などの設備配管や配線,エレベーターや階段など垂直動線を通すパイプとしても利用されているそうです。
また,建物の78%を覆うガラスは,南側を二重にすることと建物上部に開閉機構を設けることで,夏期は機構を開放して内側に上昇気流を起こしてガラス面を冷却し,冬季は閉めて断熱性の高い空気層を作り出して空調コストを低減させているそうです。このように,壁ほとんどガラス張りであるため,支柱のスケルトン構造を外から直接見ることができると同時に,建物の中からも定禅寺通りのケヤキ並木を見渡すことができ,中と外との一体感があるそうです。
確かに,毎秋に開催される定禅寺ストリートジャズフェスティバルの時には1階の通りに面したガラスが全て開かれてイベントが行われていますし,毎冬のSENDAI光のページェントの時にも関連したイベントが行われています。それに,光のページェントをこの建物の上から眺めるのはとても美しい。
この構造形式は,現代のコンクリートビルディングの構造である「柱・梁からなる構造+補助的に柱梁間に挟まれた構造壁=ラーメン構造=近代建築」とは異なり,柱をたくさんの細い鉄柱に分解し,擬似的に曲面構造を構成することで「すけすけの柱の内部=チューブ」を作り出した「柱の概念を解体する」挑戦だそうです。世界中で全ての著名な建築家は近代建築に対する批判的思考を経て新しいものを生み出しているそうですが,その中でも近年ではこのせんだいメディアテークの建物は圧倒的であり,世界(特にヨーロッパ)の建築界に衝撃を与えたそうです。話が専門外のため,すべてが「そうです」になっているところが情けないのですがご容赦ください。
さて,それで,このメディアテークの本当の評判はどうなのでしょうか。
以前(12/12),authenticityさんから「せんだいメディアテークは、他にはないような新しい建物で、高く評価されて」いるし,「利用者の一般市民の方々も、明るくて気持ちがいい、時々立ち寄るようになったとか絶賛という感じだったのですが、本当のところはどうなのか街の評判を聞いてみたい」というコメントをいただいたので,私もずっと気になっていました。それで,近所の友人に尋ねたり,メディアテークに来ている人たちの会話を盗み聞きしたり,ネットで関連したブログを読んでみたりしました。
肯定的な意見としては,「イベントによっては開館前に到着しても,もう行列ができている」「七夕やジャズフェスティバルや光のページェントなど,季節ごとのイベントと連携している」「デートスポットになっている」などで,それなりに市民に開かれて活用されているという評価。
逆に,否定的な意見の代表格は,「ここで行われているイベントや発表会などが,本当にここでなければダメといった感じはない。別の場所のギャラリーでも同じではないか」というもの。私も,どちらかと言うと後者に近い意見です。確かに私も見に行った岡本太郎の写真展は良かったのですが,それは作品の持つ力であって,どうしてもここでやらねば魅力が引き出せないというわけではなかったように思います。
でも,それを言ったら,本当にこの入れ物でなければジャストフィットしない中身というものは,ここに限らずあるのでしょうか。それに,できてしまっているものは使わなければもったいない(建設費は地下2階地上7階で130億円)。結局は,いろいろなことをしていくうちに人(地域)に密着していくのではないかというのが私の結論です。実際,今月の月例上映会では『1978年宮城県沖地震の記憶』を上映しています。こういうフィルムは,通常であれば学校や社会教育団体にしか貸し出せないそうなので,こういう機会に見ることができるのは有難いことではあります。また,仙台のアート関連の発信地として集客力も少しずつ発揮しているようで,周囲にアート関連の店や民間企業が集まりだしてもいるそうです。
というわけで,私が勝手に考える今後の課題としては,メディアテークのような(たぶん)質の良い空間を活かすイベントや企画を考えることではないかと思います。良質の多様な企画(曖昧ですみません。このあたり私の苦手領域)によってさまざまな人を呼び込むことで,人と人との接点を作る場となることができるのではないでしょうか。それが,次のステップにつながっていくように思えます。なんか思考停止型のニュースキャスターのコメントのようで自分でも恥ずかしい感じです。ごめんなさい。
それから,「冬場、雪の中ではどんな風景になるのでしょう。」は,残念ながら今年の記録的な暖冬のためお見せすることが叶いませんでした。こちらもごめんなさい。
建築に興味のある方は,メディアテークの写真集が出ていますので,ご覧になってはいかがでしょうか。建築学会作品賞やグッドデザイン賞など数々の賞を受賞している,建築物としては本当に画期的な建物だそうです。
投稿者 watanabe : 16:00 | コメント (6) | トラックバック
2007年01月26日
東北のおすすめ温泉
昨日は書き忘れましたが,1月25日は「日本最低気温の日」です。1902(明治35)年,北海道旭川市で日本の最低気温の公式記録マイナス41.0℃を記録したそうです。その後,1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低いマイナス41.2℃を記録したのですが,気象庁の公式記録の対象から外れていたため旭川の記録が公式の日本最低気温となっているそうです。
それで昨日,「寒い日には温泉で温まろう」と思って温泉の話をしたのでした。そして,「日を改めて」と言ったとおり日が改まったので,テンションが高いうちにおすすめ温泉をご紹介します。オレンジ印の6温泉です。
No.2 青森の奥薬研温泉「かっぱの湯」。「表ガッパ」「裏ガッパ」「夫婦ガッパ」の3種類があり,表と裏は混浴。中でも裏は,その名のとおり知る人ぞ知る秘湯。川っぺりにありますが,場所を知っている人からは丸見えです。
No.6 青森の酸ヶ湯温泉。一度に千人入れるという巨大な「千人風呂」があります。もちろん混浴。「混浴を守る会」もあって,日本の伝統文化として混浴を奨励しています。ただし,見ても見せてもいけません。浴槽の中央付近に杭が立っていて,そこの左右で男女が入る場所が分かれています。深い。
No.9 青森の不老ふ死温泉。「不死」ではないところがミソ。JRのポスターでこの瓢箪型の露天風呂を見た方もいるのでは。目の前が海,というよりは海の中に温泉がある,と言ったほうが的確。手前は風呂の湯,奥は海。
No.15 秋田男鹿半島の男鹿桜島温泉。日本海に突き出た突端にあるという最果て感がたまりません。日本海に沈む夕陽を見ながらの露天風呂も最高ですが,この日は大嵐でした。日本海の嵐は激しいです。
No.22 秋田の月山山麓にある月山志津温泉。月山に登ったあと,目の前に月山を見ながら露天風呂に入る。至福のひと時です。内湯にはこんな可愛い雪だるま。日本酒が入っていて,一口飲みながらのひとっ風呂です。
No.23 新潟からエントリー。村上にある瀬波温泉。夕陽をみながら入れる露天風呂は他にもありますが,雄大さと物哀しさとが同居している意味ではここが最高です。
実は仙台に越して来るまで温泉にはあまり興味がなかったのですが,こちらへ来てから俄然好きになりました。風土が気質を作るのでしょう。ちなみに,今年の仙台は暖冬ですが,昨年の最低気温はマイナス8℃でした。
投稿者 watanabe : 00:31 | コメント (4)
2007年01月25日
東北の秘湯
東北といえばキーワードの一つはやはり「温泉」。そして,「温泉」といえばキーワードの一つは「秘湯」。
そこで「東北の秘湯」をご紹介しようと思ったのですが,どの温泉もなかなか捨てがたい良さがありますので,この5年間で私の入った東北+新潟の温泉をワンコメントで一挙紹介。
とは思ったものの,集めてみたら思ったより多かったので,とりあえずはやはり「日本秘湯を守る会」会員旅館である本当の秘湯(右の絵のグリーン印)だけを紹介します。
日を改めて,機会があったら他のところ(特にお勧め)を。
No.5 青森県の蔦温泉。お風呂の底から温泉がぽこぽこ湧き出ています。洗い場はありません。夏には外に蛍の乱舞。
No.11 秋田八幡平のふけの湯温泉。河原に建つ混浴露天風呂が豪快です。入るにはちと勇気が必要。小屋の中は脱衣所。この状況で脱衣所だけ囲う理由は何でしょうか。
No.13 秋田の乳頭温泉。なんと言っても白濁したお湯が魅力。露天から見える景色は,新緑でも雪でも紅葉でも四季おりおり綺麗です。
No.17 秋田の泥湯温泉。旅館の奥は混浴露天風呂。女性専用露天風呂も,目隠しの隙間は巨大です。
No.21 山形の銀山温泉。JR東日本の宣伝であまりに有名ですが,行くなら絶対冬です。
No.24 宮城の温湯温泉。明治から大正期に建てられた,早く行かないと今にも崩れそうな愛すべき旅館。夏はカメムシの乱舞。
No.25 宮城の中山平温泉。「うなぎ湯」の別名どおり,お湯がとろとろ。お湯で肌が溶ける感触です。祀られているのは,東北に多い金勢大明神さま。
No.30福島の微温湯温泉。本当にぬるくて温水プールなみ。寒くて我慢できない時は,バスタブの温水で温まります。でも,寒さを我慢してずっと入っていると,いつのまにか一晩中からだがぽかぽかです。
さすがに秘湯。どこへ行っても,何かしら人をうならせるものがあります。
投稿者 watanabe : 22:00 | コメント (2) | トラックバック
2007年01月24日
支倉常長
宮城で伊達政宗の次に有名な歴史上の人物と言ったら,この人しかいません。支倉六右衛門常長。日本史で習ったのを覚えている方もいることでしょう。歴史の話はしないつもりでしたが今日だけ。
支倉常長は,伊達政宗公の命をうけてローマ法皇に謁見した初めての日本人です。
その目的は,スペイン国王に会ってメキシコとの直接貿易の許可を得ることと,ローマ教皇に会って仙台領内での布教のため宣教師の派遣を依頼することでした。すでに徳川の世ではありましたが,メキシコとの貿易を望む幕府側との利益も一致したため,幕府も認めた正式な外交使節団でした。
常長と慶長遣欧使節団180人は,慶長18年(1613年)10月28日,サン・ファン・バウティスタ号という木造船で月の浦を出航しました。
しかし,日本を出て3ヶ月後,メキシコのアカプルコに到着した頃,日本では幕府が全国にキリシタン禁令をしいたため,それを聞いた乗組員のほとんどがメキシコにとどまってしまい,サン・ファン・バウティスタ号で旅を続けることができなくなってしまいました。
それでも,スペイン国王とローマ教皇あての手紙を預かっている常長一行はアカプルコで待ち続け,半年後の1614年6月10日,ようやくスペイン艦隊に便乗して日本人として初めて大西洋を渡ることになりました。
キューバ島ハバナを経由してスペインに上陸したのは,その年の10月5日。この時,一行の人数は当初の180人以上から30人ほどとなっていました。同行していた宣教師ソテロの出身地であるセビリアで大歓迎を受け,12月20日ついにスペインの首都マドリードに到着します。
1615年1月30日,日本出発から1年8ヶ月を経て,ついに常長はスペイン国王フェリペ三世に謁見しました。その場で政宗公の手紙を渡し,宣教師の派遣とメキシコとの貿易を希望することを伝えます。
国王からの返答を待つ間の2月17日,常長は王立跣足女子修道院付属教会において,スペイン国王やフランス王妃たちの列席のもと洗礼を受けます。洗礼名は,国王と聖人の名前を冠した「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」でした。
しかし,日本国内での禁教と弾圧の情報が国王の耳に入り,また,使節の目的が本当は貿易だけであることや,政宗公は日本の国王ではなく一領主に過ぎないことなど,常長ら使節にとって不利な情報が次々ともたらされていました。このような中,華やかな歓迎とは裏腹に国王から良い返答は得られず,使節は8ヶ月もマドリードに滞在させられました。
交渉を進めるためにはローマ教皇の力が必要と考えた常長は,1615年8月22日,予定どおりローマへ出発します。10月25日,使節団はローマへ入り,29日には常長は華麗な衣装を身にまとって入市式の行進を行いました。そして11月3日には,キリスト教の頂点であるローマ教皇パウロ五世に謁見しました。その時教皇に手渡された政宗公からの手紙には,フランシスコ会宣教師の派遣とメキシコとの貿易に関して,スペイン国王へなかだちを依頼する旨が書かれていました。
ローマ教皇から宣教師派遣の許しを得た使節は,再びスペイン国王と貿易の交渉をするためマドリードに戻ります。しかし彼らはそこに留まることを許されず,帰国のためにセビリアへと移されます。常長は使節団の大部分の人々をそこで帰国させましたが,国王フェリペ三世の返書を得るために自らはセビリアに留まって交渉を続けます。
しかし,1617年7月4日,返書を得ることは遂に叶わず,追われるようにヨーロッパを離れてメキシコに向かいます。そして,アカプルコに迎えにきたサン・ファン・バウティスタ号でマニラに到着します。そしてさらに,そこに2年間滞在した後,目的を達せられず失意のまま仙台に帰ってきました。時すでに1620年8月26日,月ノ浦を出航してから実に7年の月日が過ぎていました。
ところが,ようやく帰った祖国も安住の地ではありませんでした。既に幕府の権力が確固としたものになりつつあったこの頃,仙台藩も常長の帰国直前に領内にキリシタン禁令を出し,取り締まりの強化に乗り出していたからです。宣教師をよぶために使節を派遣した政宗でしたが,幕府の方針には従わざるをえない状態となってしまっていたのです。
その当時,太平洋・大西洋の二大洋を横断した人はなく,常長は現代なら一躍ヒーローでしょう。しかし,洗礼を受けて帰ってきた常長への待遇は冷たく,加えて,政宗公の命は実は海外への軍事協力であるとの説もあったため,稀代の功臣ともいうべき常長は事実上歴史から抹消されることになったのでした。
結局,常長はその後隠棲したままこの世を去りました。そのため,常長がどこに葬られたかはいまだに不明で,常長の墓といわれるものは宮城県内に3ヵ所存在しています。仙台市青葉区にある光明寺,常長の生まれ故郷とも言える柴田郡川崎町支倉地区の円福寺,そして黒川郡大郷町のメモリアルパークです。
常長は苦労の上,失意のうちにその人生を終えましたが,宮城の人たちは今でも常長を愛しています。その証拠が「支倉焼き」。バターと卵と砂糖を練り上げて作ったタネ(焼いたあと皮になる)に,クルミの入った白あんをのせ,木型に入れて焼き上げた,洋風どら焼きとでもいうお菓子。日本(仙台)と外国とをつなごうと努力した常長にはぴったりのお菓子で,「支倉焼」の文字が綺麗に浮かび上がっています。「支倉焼き」はあっても「伊達焼き」はないところに,常長への特別な愛情を感じます。ちなみに,「支倉常長ビール」というのもあります(ただし,こちらは「伊達政宗ビール」もありますが)。
ところで余談ですが(このブログすべてが余談ですが),常長らが持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」(国宝)の中に,「ハセクラ」という名を「faxikura」とつづった部分があり,当時ハ行を唇音(「ファ」)で発音していた証拠となっているそうです(つまり,「ハセクラ」ではなく「ファセクラ」だった)。また,正宗の氏名のつづりが「MASAMVNE IDATE」となっており,「伊達」は当時「ダテ」ではなく「イダテ」と読まれていたこともわかるそうです。歴史って,こういうトリビアルな話が面白いですね。
投稿者 watanabe : 22:24 | コメント (8)
2007年01月23日
仙台朝市
仙台駅から徒歩わずか5分のところに,仙台朝市があります。朝市とは言っても早朝から夕方まで営業しているので(祝祭日は除く),地元の人だけでなく観光客も多く,一日中いつ行っても賑わっています。
仙台朝市のルーツは,空襲で焼け野原となった駅前に終戦直後から露店が軒を並べるようになってできた,いわゆる「闇市」。当時は,粗末なテントを立てたり,むしろを敷いて品物を売っていたことから,通称「青空市場」と呼ばれていたということです。朝市のある場所は現在ではオフィスビルの多い場所なのですが,朝市の場所だけ雰囲気が急にアジア的になっていて,100mにも満たない道の両側プラス店の奥に80軒もの店がひしめいています。
まず,やっぱり魚屋。カニ,カレイ,マグロ,タラ,イカ,鮭etc.
そして,八百屋。仙台には「仙台野菜」と言われる仙台で昔から栽培されてきた野菜があります。例えば,曲がりネギや白菜や雪菜。
ちぢみほうれん草もそうです。見た目はこんなに縮れていますが,縮れているぶん成分が凝縮されているため,甘くて栄養も豊富。
水菜も京都が有名ですが,仙台でも栽培されています。京都産より細くて丈が短いのが特徴。季節は遡りますが,夏にはこんなに長い長ナスも出回ります。
果物屋。「仙台いちご」も国内より台湾などで有名のようです。
豆腐屋に乾物屋。キノコとギンナンとフキノトウが同居しているなんて季節感がありませんが。
正宗の故郷,岩出山のまんじゅう麩におから麩。宮城県北部や岩手県南部には油麩というのがあり,うちではそれを愛用しています。一見,フランスパン。
花屋に駄菓子屋。「仙台駄菓子」というものもあって,うさぎ玉,ぶどうにぎり,きなこねじり,青葉しぐれ,味噌ぱん,干切,塩釜,太白飴,こうせん,などなど。懐かしい味がいっぱいです。
この他にも,肉屋,惣菜屋,漬物屋,海産物の加工品屋,珍味屋などがあり,「朝市ラーメン」が食べられる食堂もあります。
そして,この朝市からまた徒歩5分のところにあるのが「仙台銀座」。「銀座」と名のつくところには,本当の銀座とは程遠い雰囲気が漂っているものですが,ここ仙台銀座も例外ではありません。路地裏の横丁にある20数軒ほどの飲み屋街です。でも,仙台朝市に並んでいる生きの良い食材が酒の肴となって並んでいるのも事実です。仕事納め(12/29)に行ったお店もここにあります。
仙台朝市と仙台銀座。仙台出張の折には,日中なら朝市へ,夕刻なら銀座へ出かけてみてはいかがですか。
投稿者 watanabe : 22:30 | コメント (2)
2007年01月22日
塩釜魚市場
東京から友人が遊びに来るというので,宮城の旬の魚でもてなしたいと思って塩釜港にある魚市場へ行ってきました。うちから車で30分ほどの距離です。
今の時期,何といっても美味しいのはタラ。タラなんて湯豆腐の飾り程度にしか思っていませんでしたが,鮮度の良いタラは刺身で食べられることをこちらへ来て初めて知りました。脂がのっていてほのかに甘く本当に美味しい。昆布締めも最高です。白子もタラコも,ポン酢をかけたり醤油に漬けたりして生で食べられます。左は真ダラ,右は巨大な助宗タラ。
宮城の冬にかかせない,ナメタガレイ(左)と吉次(右)。ナメタは煮付けで,吉次は焼いていただきます。
七ヶ浜の黒ソイ(左)にノド黒(右)。黒ソイは刺身,ノド黒は焼き魚。
イカも旬です。ヤリイカにスルメイカ(左)。まだまだカキも忘れてはなりません。春の味覚の貝類もずいぶん出ていました。赤貝にホタテにツブ貝(右)。
アワビ(左)のステーキも,ナマコ(右)の酢の物も捨てがたし。
もちろん,マグロもあります(左)。頭も欲しければ(右)。
ちゃんと小売もしてくれます(左)。ほっぺ(右)のステーキもおいしい。
カニも旬です。上の写真で,まぐろのほっぺの左にあったスクモガニに毛ガニ(左)。毛ガニの奥にタラバもあります(右)。
タコはミズダコが旬ですが,ゆでタコ専門というお店もあります(左)。ゆで具合が技の見せどころ。ボタンエビは刺身で(右)。
紅鮭(左)にイナダ(右)も冬の魚の代表格,日々の食卓に欠かせません。
アナゴや太刀魚(左)も定期的に食べたくなる魚。変わったものでは,タコの卵にサメの心臓(右)。タコの卵は生のままポン酢で,サメの心臓は煮ても焼いてもOKです。
大きい魚は漁師さんがその場で下ろしてもくれるし(左),切り身や開き,漬け魚もあります(右)。
一仕事終えて団欒する一家(左)や,一人で切り盛りしているおばあちゃん(右)。市場は朝早いし(朝3時から午後1時まで),建物の中とはいえ外と同じ気温で寒いんです。お疲れさま。
結局この日は,マダラ1匹,イナダ1匹,ミズダコの足1本,ツブ貝1ザル,アンキモ1腹を買いました。でも,何も買わなくても見て歩いたり,魚の名前や調理方法を教えてもらうだけで,楽しい楽しい魚市場です。
投稿者 watanabe : 22:00 | コメント (2)
2007年01月08日
『泉ヶ岳』と蔵王連峰
仙台市の北のはずれに『泉ヶ岳』という山があります。毎日,この山を見るのが楽しみです。下の写真で,双頭の左の山が『泉ヶ岳』(1172m),右の山は『北泉ヶ岳』(1253m)です。
今年は雪がほとんどなく,山腹の左右2箇所にあるスキー場だけがいくらか白くなっています。左のスキー場は,夏は草スキーが楽しめます。右のスキー場はナイターの灯りが綺麗です。泉ヶ岳の左肩に見える山は『船形山』(1500m)で,山形県との県境になっています。
その船形山から南西に続くのが雄大な蔵王連峰。尾根がずっと県境になっています。晴れた朝の連峰は,それは綺麗です。
連峰を南端から見ていくと,『不忘山』(1705m;別名『御前山』),馬の背が特徴的な,『南屏風岳』(1810m)と『屏風岳』(1825m)。山とは関係ありませんが,中央には仙台観音が見えています。
中央付近に見えるのが,『刈田岳』(1758m)と『熊野岳』(1841m;連峰最高峰)。この二つの山の中央に有名な「蔵王のお釜」があります。蔵王連峰には「蔵王」という名の山はなく,最高峰を言うなら『熊野岳』,お釜を見るのに適していて頂上に神社があるのが『刈田岳』です。
中央付近の積雪のあるのが『雁戸山』(1485m)。
左端は『神室岳』(1356m),右端の左に傾いた大きな山が『大東岳』(1366m)。この二つの山は,県境より宮城側にあります。県境の山や尾根よりも高いのでこちらが見えます。
名前が面白い,その名も『南面白山』(1225m)と『面白山』(1264m)。
いかにも頂上は寒いのだろうと思わせる中央右寄りの『寒風山』(1117m)。
右端からなだらかに続く『後白髪山』(1423m)。県境より宮城側にあり,県境の山(『楠峰』1211m)は低いので見えません。
そして,『船形山』を背景に,『泉ヶ岳』『北泉ヶ岳』に戻ってきました。南端の『不忘山』からこの『泉ヶ岳』まで,写真は(=山は)ぜんぶつながっています。
以前,立川に住んでいた時には自宅から富士山を見るのを何よりの楽しみとしていましたが,今は犬と散歩しながら四季の蔵王連峰を眺めています。今日は,成人の日を迎える人たちに心中エールを送りつつ。
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2007年01月05日
伊達家紋
昨日,大崎八幡宮の一の鳥居の扁額を飾る「伊達家の六種の家紋」の話をしたので,今日はその家紋の話を。
伊達氏は,戦国武将の中でも特に家紋の多い家と言われています。これは,興亡の激しい戦国時代にあって生き残るために,その時々の実力者と和睦を図ってきたからだそうです。その家紋の数ですが,「伊達七家紋」(下の絵上の段)とか「十家紋」とか言われており,どれを正式と考えて数えているかは良くわかりません。私が知っている家紋は少なくとも13(下の絵)はあります。
良く見る(と私が思っている)いくつかの紋をお土産の品々とご紹介します。
1世朝宗(ともむね;正宗は17世)が源頼朝から拝領したという『二引両(にひきりょう)』(上の絵下の段左端)を改めた『三引両(みつびきりょう)』。伊達家の家紋では最も古いものです。下の『九曜』とともに,仙台の老舗和菓子屋の和三盆のデザインに使われています。青葉城址の騎馬像の台座にもあります(12/18「伊達政宗像」の一番上の写真)。左の写真は仙台市のマークで「仙」という文字をデザインしているのですが,どう見てもこの家紋を意識してますよね。
通称『仙台笹』と呼ばれる『竹に雀』。伊達家の定紋です。この紋は一番人気。湯呑みや茶碗など何でもあります。「雀」がモチーフのこんな香入れもあります。ちなみに「雀」は仙台のキーワードの一つで,毎年5月の青葉祭りには市民が「雀踊り」を踊ります。
伊達家のルーツである藤原氏が使用していた 『九曜』。伊達家では正宗が初めて使いました。写真中央はコースター,右は『瑞願寺』(伊達家の菩提寺;松島にあります)の寺門の瓦です(これはお土産にできませんが)。また,写真はありませんが,青葉城址のふもとの街灯はガラスにこの紋が透かしてあって,もれる明かりが綺麗です。上の和三盆にも使われています。
伊達家特有の紋である『雪薄(ゆきすすき)』。中央と左の写真は仙台銘菓の一つ『雪輪モナカ』です。中身はえんどう豆にレモンを混ぜた餡で,これに求肥が入っています。冬(11-12月)限定の爽やかな味。
家紋ってデザイン的にはとても優れていますよね。好きな紋はいろいろあるのですが,自分の家紋を自分で選べないというのが残念です。
投稿者 watanabe : 19:51 | コメント (6)
2007年01月02日
仙台初売り
1月2日といえば,仙台では「初売り」です。
「仙台初売り」は仙台藩の時代から三百年以上続く伝統的な正月行事です。
その特徴の第一は,大きな「茶箱」の福袋。今の時代に茶箱なんて,と思いますが,市内の茶舗のほとんどは今でも茶箱の福袋を出しています。中身の見えない福袋は「一年の運だめし」の意味もあるそうで,茶箱ともども福袋人気は絶大です。
特徴の第二は,商品の価格を上回る豪華な景品や特典がつくこと。どんな少額のものにでも相当の景品がつくのが,他では真似できない(しない?)仙台商人の心意気だそうです。旧仙台藩以来の恒例行事とあって,この豪華景品には公正取引委員会でも特例を設けて無粋な口出しを控えているそうですから,その景品の豪華さが想像されます。
下の写真は,元旦に入ってきたチラシの数々。「初売り」の文字が躍っています。衣料品,食料品はもちろんのこと,靴,着物,和箪笥,眼鏡,作業服(!),工具,家電,携帯電話,ゲーム機器,日用品,花,薬,車,タイヤ,カー用品,ありとあらゆるものが「初売り」です。変わったところでは,仏壇や墓苑などまで。
ちなみに,市内で有名な老舗の茶舗では,5000円以上のお茶を購入した先着100名に,家電製品などの生活用品が入った茶箱を「ご祝儀」として進呈するそうです。そのため,徹夜組をはじめ朝早くから開店を待つお客さんが店頭に並び,各店舗は通常よりも早い開店時間となるうえ,お屠蘇やお茶などをふるまう店などもあって,お正月からお祭り気分で盛り上がります。
と,ここまで書いておいて何ですが,実は私は初売りに行ったことはありません。人ごみがそんなに好きじゃないし,並ぶのはもっと好きじゃないし,福袋は欲しくないし,茶箱は置く場所ないし,例えば冷蔵庫が二つになっても,うーん。せっかくなので,雰囲気を味わいに一度くらいは行ってみようかなあと思いつつ,早や5年。いつもテレビのニュースや翌日の新聞で,人出の人数や豪華景品の内容を聞いて「へーっ!」と感心しています。生粋の仙台人になるには,まだまだ修行が足りないようです。
投稿者 watanabe : 22:31 | コメント (8) | トラックバック
2006年12月29日
仕事納め
今年も残すところあと3日,今日が仕事納めという方も多いのではないでしょうか。今年も1年お疲れさまでした。私の仕事納めは,地元東北の酒と魚で締めくくりです。
この季節,宮城は何といっても牡蠣。ノロウィルスもなんのその。生でも美味ですが,ちょっとあぶってあるのがまた美味しい。
左の写真は,知る人ぞ知る「大間(おおま)のまぐろ」。大間町は青森県の最北部,マサカリの形をした下北半島の,刃の頭の部分です(かえってわかりにくいか)。とろけるような舌触りです。右の写真は,これも珍しい,秋田県男鹿半島は「北浦の天然もずく」。地元では「クロモ」と呼んでいます。しゃきしゃきしたおいしさ。
仙台と言えばやはり笹カマ。左は店自慢の「カニ入り笹かまぼこ」。カニたっぷりの焼きたてほわほわ。右は気仙沼から,これまたフカヒレたっぷりのとろとろな「フカヒレ茶碗蒸し」。
左は,仙台では「きんき」と呼ばれる吉次。仙台っ子には超人気で,この焼き魚はお祝いごとにはかかせません。脂がのって美味しいのは3月末まで。右は,秋田は比内地方の「比内鶏のつくね鍋」。歯ごたえと旨味のある肉はもちろんのこと,鍋のおつゆが美味です。
日本全国,各地に美味しいものがありますが,東北も捨てたものではありません。寒い地域は寒い時期こそ美味しいものも目白押しです。ぜひ冬の東北へもおでかけください。
投稿者 watanabe : 22:16 | コメント (4) | トラックバック
2006年12月26日
北上川
昨日は仕事で北上川の近くへ行って来ました。
仙台というと広瀬川が有名ですが,岩手県に端を発して宮城県の北部を流れ,石巻湾(仙台湾の北)に注ぐ北上川は,その雄大さ,その美しさ,その懐かしさからして,「東北の川の雄」と言って過言ではないと思っています。
下の写真は,川から少し離れた田んぼの中。空が広い。
仕事は,専門であるところのコンクリート構造物の診断だったのですが,それをごく簡単に示すと下の写真のようになります。「あっ,ひび割れ発見!」(左;矢印の箇所一帯)「幅は何mm?」(右)
いや,これでは本当に簡単過ぎて土木構造物の信頼性を落としてします恐れがあるので補足しますが,こういう簡単な調査から始まって,必要に応じて,精密な機械を使った測定や化学的な分析(コンクリートは水和反応で固まる化学物質なので)などを実施します。それと同時に,周囲の環境(気温や風雪,地盤条件,使用環境など)や構造物を建設したときの施工記録,使った材料などを調べて,ひび割れが何故入ったか,このひび割れが構造物に与える影響はいかほどか,今後どのような対策(補修)を行うべきか,などの一連の検討を行います。ですので,皆さん土木構造物は本来とても安心できるものなんです。応援よろしくお願いします。
無粋な話になりましたが,北上川は本当に「懐かしい」という感情を引き起こす川です。
空,山,森,川,岸辺の草木。
帰りは夕方になりました。川面に映る夕陽に涙が出るのは私だけでしょうか。
投稿者 watanabe : 08:16 | コメント (4) | トラックバック
2006年12月25日
「仙台四郎」よりメリークリスマス
クリスマスですね。
仙台には「仙台四郎」という福の神がいます。とてもメジャーな神様です。市民に愛されていますので,サンタさんも四郎さんになってしまいます。にもかかわらず,背中に名前が書いてあるのも愛嬌ですが。
仙台四郎さんは下の写真でわかるように,実在の人物です。
四郎さんは江戸末期に鉄砲職人の家庭に生まれ,生家は裕福だったのですが,いわゆる「智恵おくれ」だったため「しろばか(四郎馬鹿)」と呼ばれていたそうです。街を徘徊する四郎さんは,店先にほうきが立てかけてあれば勝手に店の前を掃き,ひしゃくを入れたままの水おけがあればこれまた勝手に水をまく,といった行動をとったようです。ところが,やがて四郎さんが立ち寄る店は繁盛すると噂されるようになり,「福の神」と呼ばれるようになります。でも,下心のある店には寄り付かなかったそうです。
そのため,四郎さんの置物は,自分で買ったのではご利益がないということになっています。下の二つの置物はうちの四郎さんですが,やはりどちらもいただいたものです。
仙台土産のあるお土産屋さんに行くと,必ず四郎さんはいます。絵はがき,お守り,ストラップ,ミニタオル,etc。来年の干支であるイノシシに乗っている四郎さんもいます。好き好きは分かれるところだと思いますので,特にお勧めはしません。ただ,四郎さんという愛すべき神様が仙台にはいるというお話でした。
四郎さんより,メリークリスマ~ス。
投稿者 watanabe : 23:56 | コメント (4)
2006年12月23日
「瑞鳳殿」薪能
「瑞鳳殿」は伊達政宗の霊廟です。その瑞鳳殿のあずまやで,先日9年ぶりに薪能が催されました。
正宗は能楽が好きだったそうで,今でも毎年「仙台青葉能」が5月に開催されています。でも,この「青葉能」は天気の影響を受けないよう屋内舞台での開催となっており,「薪能」としての開催は9年ぶりということでした。
演目は,「楽器の調べ」,「仕舞」(上,下左),「素謡」,「居囃子」(下右)で,いわゆる「能面」をつけて舞う「能」の演目がなかったのが残念です。でも,場所が場所だけに,篝火がだんだん輝きを増す中,楽器の音色が周囲の山(瑞鳳殿は経ヶ峯という山に建立されています)に響きながら吸い込まれていくようで,趣は十分でした。
いちばん上の写真にあるように,「瑞鳳殿」は絢爛豪華な色使いで,ミニミニ東照宮といったところです。お色直しの最中で,欄間彫刻の天女がはずされ彩色されなおしていました(左)。彩色に使われている顔料も並べられており(右),自然から採れるさまざまな色にみとれてしまいました。昔の人は,岩の中にこんな綺麗な色が隠されているのを良く見つけましたね。
瑞鳳殿に至る参道は戦火をまぬがれた藩政時代からのものという石段で(左),その周囲は樹齢380年,高さ45m,幹の周囲5.5mという杉木立(中央)が取り囲んでいます。山全体が荘厳な雰囲気。ここは地名も「霊屋下(おたまやした)」といいます(右)。私の大好きな場所のひとつです。
投稿者 watanabe : 17:12 | コメント (2)
2006年12月18日
伊達政宗像
仙台といえば,伊達政宗公。正宗公を語ったらそれだけでこのブログが終わってしまいますので,歴史的な事柄はやめにして(歴史って,好きな人は知っている,そうでない人は興味がない),周辺のいろいろを少しずつご紹介します。まず初めは正宗像です。
正宗像は青葉城跡にある騎馬像(上)が有名ですが,そのほかにも3体あります。
仙台駅の待ち合わせのシンボルとなっている白い騎馬像(左)。仙台市博物館の裏庭にある胸像(中央)。そして,正宗の故郷,岩出山城跡にある平服姿の通称「平和像」(右)です。
青葉城址の正宗像の初代は,博物館の裏庭にある胸像でした(当時は騎馬像)。この胸像は,戦時中の金属供出命令で供出されたため,2代目として岩出山の平和像が作られました。その後,3代目である現在の騎馬像が作られたため置き換えられました。一方,初代の騎馬像は,終戦直後,塩釜市内に打棄てられていたものが奇跡的に発見されて(その際に現在の胸像姿になっていた),現在の場所(市博物館)へ移されました。
良く見ると,顔がそれぞれ違います。駅にいるのは若齢で,騎馬像と胸像は壮齢,岩出山にいるのは老齢のように見えます。場面に応じた作者の思い入れがあるのでしょうね。
仙台出張の際は,ぜひ探してみてください。
ちなみに,仙台駅と岩出山の正宗像はコンクリート(正確にはたぶんモルタル)製です。コンクリートってやっぱり造形性に富んでるなあ。